【junkoの経験】vol.3
今日のお話は私が、21歳の時に愛知県の常滑の漁師町の中学校へ教育実習に行った時のお話です。
私の担当の先生のクラスは三年生のいわゆる番長とスケバンが揃っているクラスでした。
でも、その先生からのアドバイスは
『子供達の話はいっさい聞かない事』
教育委員会でも有名なダメ先生だったんです。
(そんな先生の元で実習をする事になったいきさつはまた別のお話で・・)
更に、そのクラスには酷いイジメ問題がありました。
明らかな障がい児がひとりいたのですが、その子がその的ではなく、発達凸凹スペクトラム(多分アスペルガー)の子供でした。
(当時は発達凸凹という言葉もなかったと思います)
担当の先生からは子供達と『口を聞くな』と言われても子供達は教育実習生の私に興味津々なので何かと私に訴えてきます。
担当の先生からは自分の様に職員室に逃げる様にと更に指導されました。
でも、私は何度も子供達に囲まれて結局我慢ができず訴えを聞いてしまいました。
その訴えは番長もスケバンもその仲間もその他の子達も
『イジメをしたくない』
だったのです。
でも、なんでイジメるのかと聞くとつきつめると
『あいつの態度で自分達が傷つく』
からでした。
発達凸凹の特徴のコミュニケーションの能力の不足からの発言に子達も傷ついていたのです。
平成の今なら、多分シカトしている状況でしょう。
でも、 まだ子供達も熱い昭和の時代でした。
21歳の私のその時の能力ではどうして良いのかわからず、教育実習生仲間に相談もしましたが、やはり実習生が何か特別なアクションを起こしてはいけないという事に収まり、歯がゆく思いながらもただ聞くだけで止めていました。
しかし、実習期間の最後に運動会があったのです。
なんと、その運動会にそのクラスの子達が全員揃ってボイコットして山に逃げてしまったのです。
彼らは自分達の気持ちを受け止めてもらえない不満を表現する方法をそんな形にしたのです。
そのやり場のない子供達の気持ちを思うと、自分の力の至らなさに今も涙が出ます。
この『大問題』に対する処置や対応などでは、私は子供達を先導した先生として全てシャットアウトされまし。
その後の子供達の対応などはどうなったのか・・何も知りません。。。
子供達の実際の訴えをちゃんと聞いてもらえたのか今も気になります。。
『国語』教師の私は『心』の授業をする事は出来ません。
カウンセラーとなって当時の子供達がクライアントさん達の年齢です。
今悩んでいて教えてあげている心の事を中学生の頃に『心の授業』として学んでいればと思う事がいっぱいあります。
日本の公立の小学校中学校で『心理』の授業を取り入れたいという私のラポール・ラボでの活動の原動力となる経験のひとつです。