学校で弓矢当たり児童に視覚障害、市に3400万円の賠償命令 愛知 | ★heartquake★

学校で弓矢当たり児童に視覚障害、市に3400万円の賠償命令 愛知

めっちゃ怖いやん、と思った。
自作の弓矢を、
その発達障害の子が作って
保健室のベッドの下に隠れてたと書いてる。
そこを覗いた被害者の子供に放った
ってことよな。
それ以外のことはわからんけど。
でも、普通にめちゃくちゃ怖いやろ。
弓矢なんて作らんだろ。

発達障害って、どんな感じなんだろう?
発達障害と知的障害のラインが
よくわからん。
そういうテストとかあるのかな?
それとも親の判断なのか?

でも、弓矢を自作までは
百歩譲ってスルーするとしても
(いや、あかんよな)
人に向けたらあかんとかは
教えても理解できないってことよね?
それなら普通の学校は
ムリなのでは、と思ってしまう。

そういうの詳しくないから
わからんのだが。。

何度か書いたことあると思うが
私が小学生の時は
1人は男の子で
知的障害で、会話とかは出来ない。
奇声をあげるのみの子がいた。
朝と放課後はお父さんが送り迎え
していて、手を繋いで
ぴょんぴょん飛んでるが
奇声はあげるが比較的
お父さんといる時は大人しく
歩いていた。

朝のホームルームだけ
クラスで数分だけ座ってて
そこからは、なかよし学級(と呼んでた)
に移動する。
毎朝、私と、もう1人の子が
手を繋いで、そのクラスに送ってた。
それは、友達が優しい子で
そういうことを好んでやっていたから。
仲良かったから、なんとなく
先生も2人でお願いね、って感じで。
まぁ、当時の私はよくわかってなかったし
好きも嫌いも特に何も考えてなかった。

放課後も、お父さんが迎えに来るまで
毎日だったか週3くらいだったか
忘れたが、
なかよし学級に行き
一緒に遊ぶということをしていた。
これも行ってあげて、と言われたか
友達の流れでだったか忘れたが
一緒にトランポリンとかして
お迎えまでの時間つぶしを
したりしてた。
そのうち、会話は出来ないが
楽しそう、とか、機嫌悪い、
とかは理解できるようになっていた。

でも、男の子の体格は大きくて
(身長も高かったので)
小学3年くらいには
支援学校に転校した。
たまに外で見かけることがあったが
相変わらず、お父さんと
手を繋いで道を歩いていた。

親御さんは大変だっただろうと
今なら思うが
でも、優しそうで穏やかそうな
お父さんだったことは
今も凄い覚えている。
ただ、お父さんは細くて小柄で
息子さんは小学校低学年にして
めっちゃ大柄(太っては無いが身長が)
そのまま成長すると
お父さんが体力的に大変そうだなとは
思ったので、どうなったのかな。。

そして、途中から転校してきた
軽度の(多分)知的障害の女の子もいた。
勉強は劣っていたが
それなりに少しは会話とかは出来た。
でも、やはり独特だったから
友達という友達は、
いなかったとは思うが
みんな、それなりに輪に入れたりは
して、普通には接してたとは思う。

ある時、その子から
『今日お誕生日だから放課後、家に来て』
と、誘われた。
何故か、私と、もう1人の子だけ。
この3人、別に仲良くもない。
普通に話すし、仲悪くもないが
これといって特に仲良しでもなんでもない。
誘われた時にも、
お互い顔を見合わせてハテナが浮かんだ。

でも、断ったり意見を言うような
2人では無いから
なんかよくわからんけど
誘われたから行くしかないよね、
って流れになり
慌てて一旦、家に帰り
お母さんに説明してお金をもらい
2人で文房具とかのプレゼントを
買いに行った。

今日の今日なので
(土曜日とかでもない)
とにかく慌てた。

なので、その子の家に行ったのも
夕方17時頃には、なっていた。

向こうのお母さんは
びっくりしていた。

その子のお誕生日だが
お誕生日会とかやるわけでもないし
突然、同級生が2人来たのだ。
でも、こっちが誘われたから来たとか
言う前に、お母さんは
泣き出してしまった。

自分の娘に友達がいたこと、
お誕生日にプレゼント持って
来てくれたこと
人生で初めてだと言って
めっちゃ泣き出してしまった。

私と友達は、かなり戸惑ったが
なんとなく察したので
本当はプレゼント渡して
すぐ帰るつもりだった。
(だって、3人ともそんなに仲良くないし
平日なので家で夕食が待っている、
てか、夜だしな)

だが、そこから、その子のお母さんは
中に入って、ジュース飲んで
待ってて!と言って
外に飛び出して行った。

またまた戸惑いながら
なんとなく3人で過ごしていたが
会話は当然弾んでなかったと思う。
だって、その知的障害の子は
当たり障りのないことなら
会話は出来たと思うけど
込み入った会話とかは出来なかった
はずなので、なんとなくの
会話で、その子のお母さんの
帰りを待っていた。

で、帰ってきたと思ったら
マクドナルドに行き
それぞれ、確か
ビッグマックのセットを
買って来られて、皆で食べようと。

小学3年か4年生くらいだったので
『でか!』ってのと
ハンバーガーのセットとか
出されて困惑とか遠慮の気持ちとか
家で夕食がぁ…
と、色んなことよぎったが
色々と察した延長線上にいる
我々2人なので皆で食べた。

とにかく、その子のお母さんが
嬉しそうだったのを
いまでも覚えている。

結局、その子は小学生を
卒業する前だったか
卒業してからだったか
その後からは
支援学校に行くというのを
後で知った。

謎のお誕生日会のことも
いまだによく覚えている。

彼女は何故、私たち二人だけを
誘ったのか
色んな人に声をかけたのかと思ったが
他の子は誰も声をかけられてなかった。
(当時、周りに聞いて確かめた)
彼女の中では我々二人は
仲良い感じのメンバーだと思っていたのか
(いや、絶対に違うと思うが)
何か特別な感情を持ってくれてたのか
誘ったら来てくれそうな
(大人しめの)二人を誘っただけなのか
真実はわからないし
喜怒哀楽の感情とかは読み取れない子
だったから、わからないままだけど
とにかくお母さんが泣いて喜んでたので
結果オーライとした。

その時、帰宅してから
流れを我が母親に説明したら
『良かったやん』
とだけ返されたのも覚えてる。

今と昔では色々と
違うのだろうと思うし、
当時は、ゆるゆるに思えることも多いが
たまたまクラスメイトだった
知的障害の子達も
比較的穏やかだったのか
穏やかにできるように
先生や生徒が接してたのかは
わからんけど。
まぁ、そこの2人は
親御さんの苦労とか優しさとかは
当時でも少しわかったしな。

しかし、弓矢は怖い。。

だけど、この加害者になる
少年の親御さん達も
先生達も大変だろうなとは
少しは思う。
だけど、被害者の男の子のことを思ったら
辛いね。