私の大好きなスエ子おばちゃん。

弟が生まれてから母の愛情に飢えていたときにも、可愛がってくれた叔母です。

 

そんなスエ子おばちゃんは、私が中学生の時に、

子宮外妊娠で大量出血し、

命は取り留めたものの、

植物状態となってしまいました。

 

愛情が深くて、優しくて、

赤ちゃんを産み育てたかったスエ子おばちゃん。

どんなに生きたいと願っていただろう。

 

そんな時、

自分と歳の変わらない中学生がいじめを苦に自殺するという様なニュースが聞こえてくる様になりました。

 

なんで?

自分で命を絶ってしまうのか?

 

私の目の前には、

生きたかった叔母がいるのに・・・

 

でも、この植物状態で、生きていると言えるのか?

母も私も何とか意識が戻ることを信じて、

手を握ったり、体を摩ったり、

声をかけたりしていました。

生きているからです。

希望はあるからです。

 

私の10代は、「生きる」とは何か?

イヤでも考えさせられることになったのです。

 

そして、「生きる」ことの尊さ、命の大切さを伝えたい。

 

それは、医療ではなく、教育なのではないか?という思いに至り、

教育を志すことになったのです。