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モンテッソーリの保育で言う教具と、おもちゃの違いを考えるに当たって、
久しぶりに、いろんな本を広げてみた。

本を広げてみただけでも、勉強になった。

そんな中で、整理してみたこと。

モンテッソーリは、子どもは環境から、吸収して学ぶということを言っている。
スポンジが水を吸うように、良いことも悪いことも、吸い込んでいく。
だから、大人の仕事は、子どもの周りの環境を整えてあげることなのだ。

また、モンテッソーリ保育では、子どもの活動を、「お仕事」と呼ぶ。
子どもは、自分の中にある「発達のプログラム」に沿って、
自分のやりたいことを心行くまで繰り返し繰り返しやって、成長していくのだ。

「お仕事」は特別なものではない。

子どもが日常生活の中で、ふと気が付くと夢中になってお仕事に取り組んでいた・・
そんな光景に出会ったことはありませんか?
  穴を見つけては、その中に石ころを入れていた。
  ミニカーをきれいに並べていた。
  ポケットにものを入れたり出したりを繰り返していた。
  お風呂で、水を入れてはこぼし、入れてはこぼし、を繰り返していた。
なんでもないような光景だけど、子どもが、動くことによって、
自分の中から突き上げてくるように、無心に取り組む作業を、
「子どもが自分自身を作っていく作業」として、「遊び」とは区別して、「お仕事」と呼んでいる。

本来、日常生活の中にある、「お仕事」だけど、
そのことを、意識的に行うことができるように、保育者が整理し、整備したものを
「教具」と言うのではないかと思う。

 「穴を見つけては、その中に石ころを入れていた。」

うちの子も、道路の脇の側溝のふたのあいだにある穴に、しきりに石を入れたがる時期があった。
でも、側溝に石を入れるということは、マナーに反しているから、
「やっていいよ。」とは言えない。
そんな時、ミルク缶くらいの缶のふたに十字の穴を開けたものに、クルミをその穴から入れる教具を置いてみた。
すると、その缶の穴に、繰り返し繰り返しクルミを落とす。
穴を覗き込んだり、クルミを落とすときの穴の抵抗感を感じたり、落ちたときの音を楽しんだりしていた。
そうすることで、側溝のふたの穴に石を落とすこともなくなった。

子どもが今、何をしたいのか、何を学ぼうとしているのかを、
子どもを観察することで知り、
その活動を意識的にすることができるように整えられたものを「教具」と呼ぶのではないだろうか。

その整えられたものの条件は、

①子どものサイズであること。
②美しく魅力的であり、子どもの興味を引くものであること。
③単純で目的がわかること。
④困難がひとつだけであること。
⑤系統性、関連性があること。
⑥誤りの訂正が含まれていること。

「藤原元一著 やさしい解説 モンテッソーリ教育」より

以上が、私が考えた「おもちゃと教具の違い」だ。



まだまだ、勉強が足りないので、いろんな方の意見が聞けたらいいなぁと思っている。