ポ-ランドと日本 | 九州最古の喫茶店。ツル茶んのマスタ-のブログ

九州最古の喫茶店。ツル茶んのマスタ-のブログ

創業大正14年、九州、長崎の喫茶レストラン「ツル茶ん」の三代目マスタ-のブログです。姉妹店ヴィンランドも含め、長崎の魅力発信、マスタ-の個人的趣味など、掲載してゆきます。
長崎名物。「トルコライス」や「元祖、長崎風ミルクセ—キ」が大人気。

イメージ 1

私は「ポ-ランド」というお国に対して無知であったので、ちょっと勉強してみると、我が「日本国」そして「長崎」と非常にご縁があり、かつ「親日国」であることがわかりました。以下、ベタバリですが、、                                            

近現代史における日本との関係

日本学

1919年にワルシャワ大学に日本語講座が開かれた。以来、同大学東洋学部の「日本韓国学科」は、中国研究と中国語学科の一分野として、韓国語学科と共に学科は維持され、日本語が教えられている。2002年には、同学科は天皇皇后の行幸啓を受けたほか、2008年には日本テレビ放送網の「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」の「世界日本語学校の旅で」でポズナン大学日本語学科とともに、日本語を学ぶ大学生たちが紹介された。

また、ポーランド第二共和国初代国家元首ユゼフ・ピウツスキの兄ブロニスワフ・ピウスツキは、樺太に流刑になったことを契機に、樺太から北海道へ渡り、多くの日本の文化人、政治家と交流しつつ、アイヌの研究に業績を残した。

日本による戦間期のポーランド人孤児救出

日本は戦間期、765人のポーランド人の孤児をシベリアから助けたことがある[48]。当時、多くのユダヤ系ポーランド人孤児らもシベリアに搬送されていた。

ポーランド人聖職者の訪日

また、カトリック教会聖職者のマキシミリアノ・コルベは、日本で布教活動を行い「けがれなき聖母の騎士会」を日本に導入した。同会の出版社「聖母の騎士社」や、コルベに続いて布教に訪日したポーランド人宣教師によって創設された仁川学院、聖母の騎士高等学校は21世紀を迎えた現在も存続している。

コルベと共に、布教のために訪日したゼノ・ゼブロフスキー修道士は、長崎で原爆に被爆したのちも日本に留まり、戦災孤児など貧民救済に尽力した。同じポーランド人の教皇ヨハネ・パウロ2世は1981年に訪日した際、病床のゼノに面会し、功績を称賛した。初めて訪日したローマ教皇ヨハネ・パウロ2世はポーランド人であり、東京では「世界最初の原子爆弾の傷跡がいまだにはっきり残るこの国で、『あなたがたに平和』と言うキリストの言葉は、特別に力強く響きます。この言葉に私たちは答えなければなりません」と日本語で挨拶し[49]、広島市と長崎市を訪問。広島においては「戦争は死です。生命の破壊です」と世界に平和の構築を訴えた。                                                、、、知らなかった。