鈴木天眼、東洋日の出新聞 | 九州最古の喫茶店。ツル茶んのマスタ-のブログ

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創業大正14年、九州、長崎の喫茶レストラン「ツル茶ん」の三代目マスタ-のブログです。姉妹店ヴィンランドも含め、長崎の魅力発信、マスタ-の個人的趣味など、掲載してゆきます。
長崎名物。「トルコライス」や「元祖、長崎風ミルクセ—キ」が大人気。

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  そしてまた、孫文先生を政治的活動の手腕をもって支援した人物をご紹介します。
 
鈴木天眼!長崎に{当店ツル茶んの場所にて}最初の新聞社として「東洋日の出新聞」を設立しご活躍された方です。
 
出身は現在の福島県北部にあたる「二本松藩」戊辰戦争では、会津藩や庄内藩とともに、幕府方として「薩長」と
戦った藩でもあります。
 
この戊辰戦争に一端を述べれば、{ウイキペディア参考}
 
慶応2年12月(1867年1月)に孝明天皇が崩御すると、既に薩長同盟を締結していた薩摩藩長州藩との対立が激化した。大政奉還王政復古を経て慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いにより戊辰戦争が勃発した。会津藩は旧幕府勢力の中心と見なされ、新政府軍の仇敵となった。この戦いで、明治天皇を奉じる新政府軍により、会津藩には孝明天皇よりの御宸翰があったにも関らず朝敵とされたのである。会津藩は奥羽越列藩同盟の支援を受け、庄内藩と会庄同盟を結ぶなどして新政府軍に抵抗したが、会津若松城下での戦い(会津戦争)に敗北して降伏した。
 
こうして、歴史を振り返ると戊辰戦争において「朝敵」の汚名を着せられた、会津、二本松、庄内、などの人々は
明治期、苦しい立場に立たされていたように思える。
 
恥ずかしげもなく持論を述べれば、この長崎は、元、天領{幕府直轄地}でもあり、彼らが活躍の場を求めた
大陸にもちかく、所謂、「他所もの」を色眼鏡で見ない、長崎人のおおらかさに受け入れられ、その生涯を、
長崎ありき、で燃やしたのではなかろうか。
 
その証であるように、次回述べる「西郷四郎」も、「初代長崎市長」北原雅長、当時の「長崎県知事」日下義雄も「会津」出身である。
 
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さきにも述べましたが、当店{ツル茶ん}のこの場所は、鈴木天眼が、そして西郷四郎が活躍の場とした、さらに一時期孫文先生が滞在{かくまわれていた?}していた「東洋日の出新聞」の跡地にあり、、初代川村岳男が、19歳の時、その建物をそのまま譲り受け九州最古の喫茶店として「ツル茶ん」を創業したものであり、創業時の写真にはその面影もみられる。
 
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最後の写真は、この辛亥革命100周年を機に、店内に、資料コ-ナ-を設けるにあたり、貴重な資料を
ご提供頂いた、鈴木天眼氏の姪にあたられ、長年の当店の常連さんでもあられる淑子さんをかこんで。
 
                                               以上敬称略、、マスタ