白洲次郎 | 九州最古の喫茶店。ツル茶んのマスタ-のブログ

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創業大正14年、九州、長崎の喫茶レストラン「ツル茶ん」の三代目マスタ-のブログです。姉妹店ヴィンランドも含め、長崎の魅力発信、マスタ-の個人的趣味など、掲載してゆきます。
長崎名物。「トルコライス」や「元祖、長崎風ミルクセ—キ」が大人気。

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最近、NHKでスペシャルドラマがあったばかりなので、
ご覧になられたかたが多いと思うが、

僕は最近「白洲次郎」にはまっている。
何回もビデオを見て、関連の本を読みまくり、日々新しい発見に感動している。

最近「白洲次郎ブ-ム」であると言われる。
そして、この僕は、ほんとつい最近まで、というかほんのきまぐれで、このドラマを観るまで、
「白洲次郎」をまったく知らなかった。
まさにこのドラマで「開眼!」NHKに感謝したい。
まったく知らなかっただけに、その感動も大きく、まさに「どっぷり」ひたっている。

これまで僕の青春の指針だった「竜馬」でさえ、一般に知られるようになったのは、昭和に入り、
司馬遼太郎氏による「竜馬がゆく」によるものと聞いている。

次郎も竜馬と同じく歴史の表舞台に立つことなくあくまでも「縁の下の力持ち」を貫き通したゆえの
成り行きであろうが、ここにきて竜馬同様、国民的英雄になろうかという勢いである。

竜馬がたおれ、50年以上時は必要とされたが、戦後の日本にもいたんですこんな日本人が!

白洲次郎は、あの当時にしてイギリスのケンブリッジ大学に留学し、流暢な英語と紳士たるマナーなどを身に付ける一方で、自動車というものに人並み以上の情熱をを持ち続け、「白洲次郎」という独自のダンディズムを持った、いわゆる粋な伊達男だった。そして、「プリンシプル」というものに不動の信念を定め、自分を信じてあらゆる困難に立ち向かっていった不屈の漢である。
 吉田茂を敬愛し、敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の支配下に置かれた日本で、終戦連絡中央事務局の職員に抜擢され活躍した。
 当時、占領軍であるGHQに対し多くの日本人は弱腰で従順な姿勢であった。しかし白洲次郎は、ケンブリッジ仕込みの英語と、「今にみていろ!」という負けん気の強さ、そして「プリンシプル(原理原則)」というものにこだわるブレない思考を軸に、主張すべきところは堂々と主張した。これからの日本の望ましい在り方、「誇りある復興」を目指したのである。
 GHQには「従順ならざる唯一の日本人」と記録されている。

 昭和天皇からGHQのマッカーサー元帥に対するクリスマスプレゼントを届けた際、「その辺にでも置いてくれ」とぞんざいに扱われたために、白洲は激怒した。
「陛下からの贈り物をその辺に置けとは何事か。
なるほど我々は戦争には負けはしたが、あなた方の奴隷になったわけではない!」
と英語で怒鳴りつけ、マッカーサーを慌てさせたエピソードは有名である。
 GHQの最高司令官であるマッカーサーを怒鳴りつけた唯一の日本人である。
 日本人離れした日本人であるが、昭和最後のサムライと言われる由縁はこういうところに
あるのかもしれない。
その後は、日米講和条約へ立会い、通産省の設立、東北電力の開発運営に尽力し、戦後日本の経済的復興の礎をつくった。

遺言は「葬式無用 戒名不用」
妻・正子さんは墓碑に次郎らしい不動明王を表す梵字が刻ませ、戒名は無しとした。

日本はいまのような状況であるからこそ、過去、このようにして日本をささえた漢がいたことを、
一人でも多くの人に知っておいてもらいたい。

憲法改正の時に、次郎は言ったそうである、
「こういう悲惨な状況ではあったが、我々はここまで抵抗したんだ!ということをこれからの日本人にしってもらいたい。」
                                        三代目