昨日のつづきその③
安全運転(without risk)の姿勢は、お金の使い方、そして、その結果、つまりその人の人生や会社の形に影響をおよぼす
金は使わなければ価値がないが、将来への不安で思い切って金を使えないというのが現在の日本の姿だろう(生きることと、小さな欲望は満たしているが…)
人間は、身体に栄養を貯め込みすぎると成人病になるけれど
金を循環させず貯め込んでいる日本社会(企業も家庭も個人も)もそういう状態なのかもしれない、そんなふうに年末に考えた
失われた20年とか30年といわれる
この言葉からは「過ぎ去った20年」を失った対象としていると思うけれど
本当に失ったのは(最も大きいのは)、過去ではなく、この先に続く将来だろうと思う
将来は未実現だから、まだ可能性があるようにみえるが、それは蜃気楼を見ているようなものかもしれない(そうならないよう手を打たなければ)
「自由なお金がなくなるから結婚しない、子どもをつくらない」「車は欲しくない」「バイクも危ないから乗らない」と考える若者が多いという
(未来は、未来ではなく、こうした選択の上、つまり、今まさに作っている)
本来、若者というのはそういう生きものじゃないはずだと思う
もっとバカで無茶で不相応な空想や夢をみるものではないだろうか
(結構な確率でそうした妄想はやがて打ち砕かれるけれど、そんなことわからないのが若者のはずだ)
最近気になるのが小中高校生に対するお金の授業
中高生やましてや小学生にまで、お金の教育をするのが近年盛んだが、そんな若いものに、将来の金について心配をするきっかけを与えるような教育は必要だろうか
住宅ローンとか教育費とは、割賦販売とか、将来設計とお金、とか…
そのせいかどうか分からないが、二人の姪は大学在学中にアルバイトで貯金しまくった額は◯百万円だという
いまどきの女子大生は皆そうなのだろうか?
今年大学生になる娘がその姪たちに感化されはじめているのだが…
貯金など、私なんかしなかった
社会人になっても、結婚する直前まで貯金はなかった(株は持っていたが)
自己啓発と飲み食い、クルマとバイク、スキーなどに使った
クルマ、バイク、スキーにかかるお金は常識的な範囲で放蕩ではなかったが
貯金など目もくれず出費(または投資)一辺倒だった
貯金なんかできないよ、お金が足りないのだから…
金の教育なんか受けていたら、こんな金の使い方、貯め方はしなかったかもしれない
会社だって興さなかったかもしれない
昔から、将来への不安なんて、誰も言わなかった、教えてくれる人もいなかった
「年齢相応の貯金」ということだけはいわれたことかあるが
それより、何者かになろうともがいていた
はっきり覚えていないが、会社を作った時に貯金はいくらもなかったと思う
今は亡き父が「いつでも困ったら助けてやる」と言ってくれていた(起業後、父に経済的に頼ったことはないが、父のこの言葉は精神的に大きな支えになっていた)
(つづく)