昨日はあまりにも忙しく、何を書くか考える暇もなかったので、日ごろ考えていることをつらつらと、帰りの電車のなかで書いてみた
つまり、ただの日記、英語はちょっとだけ
英語に触れたい方は18時の「英語の生活基本語完全マスター」をご覧いただきたい
今さら失うものなどない、大志を抱きチャレンジ
と日ごろ思っている(自分にいい聞かせている)のだが
目先の仕事に追われるし、才覚もないので、相変わらず普通のオヤジのままである
子どもたちは、まだ社会人にこそなってはいないものの、だいぶん成長し、もう幼くはない
オヤジの出る幕は急速に減ってきている
私に万が一のことがあったとしても、子どもたちの人生が大きく狂うことはないだろう
せいぜい、何か困難にぶつかった時に手を差し伸べてやれないくらいだ
こうして子育てが一段落して、これまでに世の中もいろいろ見てきたとなると
たとえいま死んでだとしても、若い人に比べれば、失うものや悔いも圧倒的に少ない
普通のしあわせなら、もう八割り方は味わったと思われる
子どもの結婚、孫…も、なんて言いだしたらキリがない
それと一緒に老いる自分の姿も目にしなければならないかと思うと、プラマイでどのくらいプラスだろうか?
普通の幸せを八割り方味わったというオヤジがこんなこと言っても説得力(convincing; persuasive)は希薄極まりないが
普通の、他の人と同じような人生をトレースして、人並みの幸せを手に入れて何が面白いのか?せっかく生まれてきたのに
と思うのである
成功する方がいいに決まっているが
失敗したってチャレンジした充実感はある
NHK連続テレビ小説『花子とアン』で
花子の幼なじみの朝一がこんなセリフを言っていた
一生懸命やって成功することの次にいいことは、一生懸命失敗することだ
失敗して人生を棒に振りたくない(throw away one's life with; ruin one's career)たくない
それはそうだ
私も若いころはそうだった
残り時間がたっぷりある若者の方がチャレンジするメリットは大きいが、残りの時間が長い分だけ失うものも多いのだ
そう考えると
失うものがないオヤジこそチャレンジし易いと思えるのだ
しかも、人生経験、職業経験も豊富、人脈もあり、若者より遠い先まで見通せる、知恵もある、焦らず落ち着いて取り組める…成功確率も高いのではないだろうか
成功しなくても、その失敗は人類の発展の役に立つだろう、多分、少しは…
小さなしあわせなどすてて、オヤジたちがチャレンジし始めたら、社会にとってとてつもなく大きなエネルギーになるのではないだろうかとも思う
無理をして早死にしたらしたで、年金原資が減らず、後世の人たちはそれだけ助かるといえそうだ
老後はまだ先のことだが、ゆっくり安らかな日々なんて想像したくないな…