国会図書館の「書籍データ・インターネット無料公開」に対する抗議についての私見 | きくらげだより

国会図書館の「書籍データ・インターネット無料公開」に対する抗議についての私見

2014年はじめてのブログになります。

年末年始は実家でぬくぬくすごし、パラダイスのような日々を過ごしました。

地元の同窓生に会っては、近況を確認し合い、「お互い頑張ろうね~」などと、
励まし合い、「ああ、地元って温かいなぁ~」と、故郷があるありがたさを実感。

以前務めていた出版社の同僚が、現在、郷里(偶然にも同郷出身)で教員になっており、
その元同僚とも、10年ぶりぐらいに再会してきました。

懐かしい昔話、互いの近況、時間はあっというまに流れましたが、
その中で、私をドキっとさせる会話がありました。

私:「◯◯はなんで会社やめちゃったの? 元々先生になりたかったの?」

元同僚:「出版社には未来がないから」

・・・絶句でした。

私だってそんなことは百も承知ですが、漠然と「まだ、大丈夫なんじゃないかなぁ?」と思っていた20年ほど前に、元同僚は非常に冷静に判断をしていたのですね。


今日、ネットでこんなニュースを発見し、つくづく「出版文化」とはどうなっていくのだろうか?と考えさせられました。



著作権切れ書籍データのネット公開停止 出版社側からの抗議に国会図書館が折れる

ニュースソースはコチラ

記事の内容をざっくり書いてしまえば、
国立国会図書館が、著作権が切れていることを前提に「近代デジタルライブラリー」等でインターネット無料公開していた書籍のうち、出版社サイドより「紙の本が刊行中のネット公開に納得いかない」と公開停止を求められた2件について、有識者のヒアリングを経て、以下の結論を取りまとめというもの。


1『大正新脩大蔵経』(1923年~1934年、大正一切経刊行会、全88巻)については、インターネット提供を再開する。

2『南伝大蔵経』(1935年~1941年、大蔵出版、全70巻)については、当分の間、インターネット提供は行わず、館内限定の提供を行う。


国立国会図書館によるニュースソースはコチラ


細かい経緯はここで書かずともニュースソースをご覧いただければわかります。

このブログでは、同じ業界にいる人間として、このニュースに対しての私見を書かせていただきます。

近代デジタルライブラリー」といえば、アクセスランキング第一位が『エロエロ草紙』(笑)というのが一時、ネットでも話題になりましたが、明治・大正・昭和前期の資料を公開しているインターネット上の電子図書館(著作権の処理が完了していない資料は国立国会図書館内の端末からのみ閲覧可能)です。

今回、公開停止を求めた書籍は著作権は切れていますが、現在も同書を刊行中の出版社があり、その利益に影響を与える可能性は否定出来ないと思います。

先に挙げた、J-CASTニュースの記事の中で、

『大正新脩大蔵経』の全巻セットは約156万円と高価で、ネットでの無料公開の影響で売上が約3分の1にまで減ったという。「民業を圧迫してまで、販売中の書籍をインターネットに公開すべきではない」という旨の意見を出していた。

とあり、ネット上ではこんな厳しい意見が出ているとありました。

「商業刊行中でも青空文庫で読める作品はたくさんあるけどねえ」
「制度の形骸化じゃないのか。他の知財では考えられない。権利切れの知財で商売しようとして他からでて死ぬなんてのは経営がマヌケなだけじゃん」


マヌケですか?
私は刊行元のHPを見ましたが、会社概要の中に、こんな一文がありました。

戦争の激化とともに出版用紙の厳しい統制が始まり、出版活動はほとんど出来ない状況に追い込まれ、さらに昭和20年3月の空襲により、社屋も焼失『大正新脩大蔵経』『南伝大蔵経』等の出版物の在庫品ならびに紙型等のすべてを失った。


ソースはコチラ

紙型を失う事がどれぐらいのダメージかと言えば、データ保存用のハードディスクがぶっ飛んだ以上のダメージです。
紙型については以前書いていますが(過去の記事:紙型からCTPへ)、一から活字を組み直すわけですから、全88巻にもおよぶ一大叢書の復刻にどれだけの苦労があっただろうか・・・と思わずにいられません。

J-CASTニュースの記事で、私が一番気になったのは下記の部分。

『大正新脩大蔵経』と『南伝大蔵経』、2つの書籍がインターネット提供を再開/館内限定の提供に別れた判断基準の部分。

『大正新脩大蔵経』に関しては 大蔵出版が復刻版を刊行してから、「投資コストの回収期間としては十分な期間が経過している」と判断した。また、東京大学大学院の大藏經テキストデータベース研究会も同書の印刷版面をネット公開していることに触れ、国会図書館が大蔵出版への売上に直ちに影響していると断定できない、としている。

 一方で、ネット公開が停止され館内限定の提供となる『南伝大蔵経』は、オンデマンド版が2001~2004年と比較的最近に刊行されたばかりで、「投資コスト回収に一定の考慮をすべき期間内である可能性」がある。加えて、国会図書館以外で無料ネット公開されていないため、「出版事業の維持に直接の影響を与える可能性を現時点では否定できない」ことから、以上のような結論に至った。



「投資コストの回収期間としては十分な期間が経過している」


この箇所がとても気になるのです。
『大正新脩大蔵経』単体で考えるなら、この考え方でよいのかもしれません。
しかし、出版社の本来の使命は、新たな「知の資産」を生み出すことにもあります。

『大正新脩大蔵経』で得た利益は、次の新たな「知の資産」を生み出すための資産でもあるのです。

多くの専門書版元には必ず、いくつかのロングセラーがあります。
そのロングセラー達があってこそ、継続して新しいチャレンジ(出版活動)が出来るのです。

新しいチャレンジ(新刊)が、必ずしも売れる訳ではありません。
中には経費が回収できない大赤字の本もあります。
それでも、使命感をもって出版する本だって世の中にはあるのです。

私は今回の話題になった出版社に知り合いはおりませんし、取材した訳でもありませんので、
完全に私見ですが、ネット上で刊行物を見た限りでは、非常に専門性が高く、刷った分がすぐ売れるような内容には思えません。倉庫維持費だってバカにならないでしょう。
専門書は高いとよく指摘を受けますが、売れる部数が少ない以上、原価/維持費を考えたら高定価をつけざるおえないのです(´・ω・`)
『大正新脩大蔵経』というロングセラーの存在が、この会社が硬派な出版物を出し続けられる原動力だったかもしれません。
他に何か資金源があったとしても、少なくともネットが普及するまでこの権威ある全集を世の中から消えてしまわないよう復刻し販売し続けてきた努力に対しては敬意がはらわれてもよいのではないかと思います。


今の出版界は、とにかく生き伸びることだけでも大変で、
「知の資産」を生み出す使命感など二の次かもしれません。
「売れるか」「売れないか」でしか考えられないほど疲弊しています。

奇麗事をいくら言っても、結局は「貧すれば鈍する」。


誰もが知識を共有できることは素晴らしいことです。
でも民間企業だけが負担を強いられる状況では、いずれ知識や文化は劣化していくかもしれません。

深く考えさせられるニュースでした。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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