木喰仏 魅惑の微笑み-地蔵菩薩(民藝館)

大正12年1月。柳宗悦が最初に目にした「木喰仏」

「地蔵菩薩」像(目黒区駒場/日本民藝館蔵)


木喰上人と「木喰仏」とを、広く知らしめるきっかけを作った人物が、柳宗悦氏だったことは以前、ご紹介しました。

では、そのきっかけとはいったいどんなことだったのでしょう。今日はそのあたりのことについて…。


柳宗悦氏は著書の中で、「繰り返される質問に対して、簡単にお答えしようと思います。どうして私が上人を研究するようになったか、またどういうふうに調査して来たか、またどうして今日の結果を得るに至ったか。…(中略)…私がこの研究を選んだのではなく、この研究にたまたま私が招かれたに過ぎないのです。」と書いています。


柳さんは、その日、友人の浅川巧さんの誘いを受けて、小宮山清三さんの所有する「朝鮮の陶磁器」を見に行くために山梨県へと向かいました。

柳さんによれば、小宮山さんとは、その日が初対面であり、(柳さんの)求めによって見せられようとしていたのも(朝鮮の)焼物であったのですが、ふと、暗い庫の前にあった二体の彫刻に目が留まり、即座に心を奪われたといいます。「その口許に漂う微笑は私を限りなく惹きつけました。尋常な作者ではない!」


座敷にもう一体「南無(弘法)大師」の像があり、その折はじめて「木喰上人」の名を聞かされています。

思いがけない柳さんの驚きに対して、小宮山さんから「一体お送りしましょう」という申し出があったといいます。

柳さんがこの好誼をどれほど嬉しく感じたかは、押して知るべしです。この奇縁が、木喰上人の研究に入ることへ、柳さんを決心させたのでした。


柳さんが最初に見た、二体は、「地蔵菩薩」像(上記画像)と「無量寿如来」像であり、後日、菰(こも)に包まれ送られてきたのも「地蔵菩薩」像でした。


地蔵菩薩像の実物画像は、下記でご覧いただけます。

日本民藝館 http://www.mingeikan.or.jp/html/lacquer-wood_6.html