姫路城は1346年に赤松貞範により築城されたとの説が有力ですが、この時代の物は小規模な砦のようなもので、城郭と言える規模のものが築かれたのは戦国時代後期の小寺氏の家臣、黒田重隆・職隆親子によるものが最初であるという説もあります。
その後、黒田孝高が城代を務め、羽柴秀吉が播磨に進駐すると秀吉に仕えることとなった黒田孝高は羽柴秀吉に城を譲ります。秀吉は姫路城の大規模な改修と拡張を行い中国攻めの拠点としました。
秀吉が大阪城に移って以降は羽柴秀長、また秀長が大和郡山に転封となって以降は木下家定が入りました。
関ヶ原の戦い以降、池田輝政が三河吉田15万石から播磨一国52万石で姫路に入ると、豊臣恩顧の西国大名を牽制する目的で大改修と拡張を行いほぼ現在の姫路城となります。
1615年、輝政の後を継いだ光政が幼少であったことから重要地を治めるには不安であるという理由で因幡鳥取に転封されると、本多忠政が15万石で入ります。
その後、奥平松平家、越前松平家、榊原家、などが何度か入れ替わり入城しますが、1742年に上野前橋城より酒井氏が入城し、そのまま幕末を迎えます。
しかし、もともと52万石の大名の城として築かれた姫路城を維持することは石高15万石の譜代大名には、幕府要職の責務も相まって藩の経済を圧迫することになりました。
明治になり廃城令が出されると姫路城も競売に出されたり、陸軍の歩兵第10連隊の設置により建物の一部が取り壊されるなど解体の危機はあったものの、城郭を保存しようという機運の高まりにより、何回かの改修を経て現在に至っています。
国宝に指定される建物は天守を含め8棟、重要文化財は櫓、門、塀など74棟、ユネスコ世界遺産にも登録される、日本を代表する城です。

姫路城大天守。左には西小天守。

菱の門。片側だけ石垣に乗る構造が珍しい。

天守群は右から大天守、西小天守、乾小天守。
右隅はりの一渡櫓とぬの門。

平成の大修理により新しくなった屋根目地の漆喰。
壁だけでなく、屋根目地にも白漆喰を用いることで、
屋根も白く見え、まさに白鷺城の名にふさわしいたたずまいとなる。

右から、化粧櫓、長局(百間廊下)、ルの櫓など。

太鼓櫓。

播州皿屋敷で有名なお菊井戸。いちま~い、にま~い。

ぬの門。

扇の勾配。
扇を開いた形に湾曲させてあり美しさと同時に石垣を高く積むことができる。
熊本城の武者返しと同様、勾配がだんだんきつくなるので、
敵兵は最後まで登ることが困難になる。

100名城スタンプは入場口左手の管理事務所においてあります。