おはようございます
昨日の夕方から、毎年恒例次女の鼻水祭りが始まった
秋の花粉症。
去年は夜中に何度も起きるくらいの鼻水でしたが、昨夜は鼻詰まりはあるもののスヤスヤと寝ていました。
鼻水を垂れたまま学校には行けないとのことで、いつもの小児科へ。
信頼できる先生なのですが、結構お歳を召されてきていて、最初に喉を見て、聴診して、最後にもう一度喉を見ていたので、
「ん?大丈夫かな?」と思いました。
次女も苦笑い
先生、全く気が付かず。
どれだけ立派な方でも、歳をとるわけで…
処方箋に間違いがないかは、しっかり見た次第です。
薬局でお薬が出来上がるまで、次女と小さい頃の話をしていた。
保育園の頃は、熱を出したら私が元職場の小児科に受診に連れていて、
院内処方箋をもって、
院内薬局で薬をもらい、
院内保育園に預けて仕事に行っていた。
(インフルエンザとかは無理だけど)
院内保育園は、毎日同じ優しい保育士さんと、小児科経験のある看護師さんが見てくれるという手厚さ。
アットホームな感じで、次女は不安なく過ごしていて、お昼ご飯は院内のレストランのうどん等が食べられたりして、お気に入りでした。
長女の時にはまだ院内保育園はなかったので、
次女の時には仕事を休まなくても良いと喜びました。
私が勤務していた治験管理室の隣の隣の部屋というのも安心でしたね。
しかし、子育て中の先輩ナースの言葉に、そんな考え方もあるんだなぁと思ったことがありました。
病児保育ができたら、子供が病気の時くらい親が側にいてあげたいと思っても、休みにくくなると思わへん?と言われたのです。
その先輩ナースは休みまくりの方ではなく、お仕事マンだったので驚きました。
私は環境が整えられていて、子供が不安なく行ける病児保育だったら預けたい派だったのです。
次女にもその話をしてて、
「病児保育は、子供が病気でもあずけられるけど、子供が病気でも働けよって受け取る人もいるみたいやわぁ」と私が言うと、
預けられていた当事者は
「一つのことも色んな考えあるねんな!」と笑っていました。
次女にとっては、病児保育に行くことが当たり前の世界でしたから、何の疑問も持ってなかったと思います。
そのあと、学校に徒歩で送り届けた。
もう、何年も見ている風景ですが、
今の時期は運動場で運動会の団体演技の練習をしています。
今年の5.6年はそれぞれが色の旗を持ちながら、集団で合わせて一つのものをつくりあげる感じ。
歌も歌う。
今日は先生の怒鳴り声は聞こえてきませんでした。
子供達の頑張っている姿や、歌声を聴いて、
「かっこいいやん。」と呟くと、
横で次女が「かっこいいやろ?」と笑顔で私を見て喜んでました。
運動会までの先生たちのプレッシャーと、それによって先生が他の授業でもイライラしてしまうことも、子供ながらに理解し、家で愚痴を吐きながらも頑張っている次女。
この子しか育てていなければ、その集団の中にいられることが当たり前と思っていたかもしれないし、その自分がそうではない親子に対して、傷つける言葉を吐いていたかもしれないと思うと、恐怖でしかありません
長女の時は、この運動会の時期が本当に大変で、
親子揃って様々な葛藤がありました。
「運動会なんか興味ない」と言い切るタイプの不登校だったら、あっさり諦められるのですが、
元々保育園のころは張り切って練習も当日も参加していましたし、なんならクラスを引っ張る役も果たしていました。
しかし、小学校の一年生で棒を持ちながら怒鳴りながら運動場で指導する学年主任(次女も小2で担任となってしまった)や、担任のイライラの雰囲気に、運動会に楽しく参加する状況ではなくなり…
さらに、その次の年からも、ダンスやソーラン節などの練習をするたびに、次の日筋肉痛で微熱を出してぐずることを繰り返しました。
私は子供の中には生まれつき低緊張の子がいることを知らなくて、
その子達は日々の生活だけでも疲れやすいという知識も不足していて、
元気っ子だった自分のことを基準にしていたために、運動会の練習の筋肉痛で休むとかありえへんと思っていたのです。
毎年、それでもなんとかギリギリ参加していて、終わった後の達成感を本人は知っています。
だからこそ、毎年「運動会に参加する」と目標を立ててしまうことになるんですよね。
長女の最後の運動会は、「組体操と集団行動」だったのですが、他の児童とかなり体力や動くスピードの差もあり、その年も暑い夏で、全身に蕁麻疹が出てフリーズしたところで、私が「もうアカンな」と判断し、学校にその旨を伝えました。
運動会一つとっても、不登校の親子がみるものと、不登校ではない親子がみるものは、同じもののはずなのに、感じるものが全く違います。
物事には色んな見方があって、
それに気がつくためには様々なリアル経験を積むことや、
人との繋がりで自然と学んだり、
教えてもらうことがあったり、
たまには自分から聞いてみたりして視野が広がるのかなぁと思います。
自分の殻にとじこもったり、
頑なに人の意見をシャットアウトしてしまうと、
生きていく上でコミュニケーションエラーが発生していくであろうし、
おそらく孤立していきますよね。
最近は学会に参加し、不登校のことについての学びや、素敵な情報を沢山もらったので、私のやる気スイッチが入っているのですが、
それについてももう少し丁寧にやっていかないと危険だなと思っている次第です。
私には有り余るエネルギーの暴走を止めてくれる仲間がいるので、本当に感謝しております
自分の行動を振り返りながら調整しながら、でも歩みは止めない。
焦らず、一つ一つ丁寧に。
明日は仕事。
そういえば、糖尿病関連の本を2冊借りたのに、
まだ一冊手付かずだな。
お昼から昼寝せずに読めますように〜
こちらも、一歩一歩、一つ一つ。