こんにちは晴れ


昨日はブログ書いてないですね。


仕事が長引き、16時までだったので全体的に押したのと、


ブログよりも大事なことを友とやり取りしていたのです。


私は子供の「不登校」によって、このブログを読み始め、親の会のメンバーと出会い、勧められて自分もブログを書き始めた。


不登校から横の繋がりがたくさんできました。


親の会の初期メンバーから、親の会の参加者さん、ブログでコメントやメッセージをやり取りしているけれどお会いしたことがない方まで。


その中でも、

「これは本間になんとかせなあかん」

と思う友やこどもさんがいます。


もちろん、自分の子どものこともしっかり向き合うけれど、


自分の子どもだけ回復に向かえばよいとかは思えないのです。


私は親の会のメンバーになった時、HSCのことしか知らなかった。


発達障害(今は神経発達症と呼ばれますが)のことも、恥ずかしながら殆ど無知でした。


看護師なのに何故?と調べてみると、発達障害者支援法ができたのが、看護学校卒業してからで、それが周知され始めたときに、私は子育て真っ最中だったから、時代の流れに置いていかれていたのだなとわかりました。


看護学校の時の教科書にも、発達障害の文言はなく、知的障害を伴う自閉症児のことしか載っていませんでした。





私は、「〇〇ちゃうかな。知らんけど。」と言うのは、無責任だと思っていて、


少しずつ少しずつ本を読み始めました。


最初は本屋さんレベル。


しかし、専門書ではなく、一般の方が読む内容のもので、納得いくまで説明が書かれたものは少なかった。


長引くコロナ禍で再就職も難しいなという状況となり、看護の学士を取ろうと思い、橘大学の通信制大学の講義を受け始めたのです。


橘大学は心理学を学べるところなので、

看護の教科以外の一般科目は、

心理学を学べるというラッキーなことになりました。


そこで、心理学の歴史や、カウンセリングや、発達のことを学び、自分にとって世界が違って見えるほどの驚きがありました。



また、授業で先生が話されることや、指定されたテキストを読むことで、


そちら側の裏事情を知ることができたのです。


なるほどと思ったことは、

スクールカウンセラーのこと。


私は2名?のスクールカウンセラーと関わりがありました。


大抵、現状報告で終わります。


困っていることを伝えても、全くためになる情報やアドバイスはもらえませんでした。


意味ない時間が流れ、もう二度と行かないと決めた。


その裏事情としては…


スクールカウンセラーは学校の先生に比べて立場が低いそうで、


「保護者と勝手に話を進めてもらっては困る」と後から苦情が入ることもあると。


また、一年契約であることが多く、出しゃばりすぎると、交代となることもあるのだとか。


保護者のマイナスな面をズバリついて、「直面化」させて二度と来ないとなると、先生側から

「何してくれてんの…」となるよね。


あと、学校が民間のカウンセリングとかは、紹介できないっていうね。


こちらは情報欲しいのに…


そうなると、当たり障りない話を保護者として、


学校としては、スクールカウンセラーが不登校の相談を受けましたよ…はい1点


みたいなね。


わかりますか?


学校が何もしなかったわけではありませんよという証拠が残れば良い。


児童・生徒の安否が確認できたらよいというスタンスの学校・管理職もいるのです。







また、それと同じく児童相談所の裏事情。




この本の中にも出てくるのですが、


心理士は大変長い間勉強し、心理療法のトレーニングを受けてお仕事につくのですが、


児童相談所で勤務すると、現場がとてもルーズに見えたと。


心理療法の「枠」をことごとく壊しているように思えると。


時間はルーズ、使う部屋もまちまち、テレビゲームやプラモデルで子どもの機嫌をとっているかのような通所の様子があり、心理士の方が先輩をみて「これでいいのか?」と思うと。


しかし、「児童相談所の通所の本来の意味」が見えてくると、この矛盾がわかり霧が晴れのだと。


そのケースと繋がり続けることこそが福祉的サービスを全うするための手段であり、

そのためには心理療法を順調に遂行するための枠組みを凌駕することがあっても良いのだ。


児相に通所するという子は、それなりに重い背景をもっていて、その子が虐待されたり、もしくは他害のトラブルをおこしたりしないかを、公的機関が長い期間見守る必要がある。


児相としては、親や子に嫌われて「もう二度とくるか!」となってしまって、そのあと何か問題が発生したら、

その担当者は後で責任を追求されますよね。


だから、当たり障りなく、見守るスタンスとなるんですよね。


心理療法というのは、自分に向き合わないとできないし、自分の否を認める作業もあるわけです。


怒り・悲しみなどを感じてしまうわけで、

それを心理士に逆ギレという形で表現してしまうケースは多いと思います。



てなことで、色々勉強してみると、この世界の見え方が変わります。



日本小児心身医学会のテキストに出会ったのも、衝撃的でしたね。


不登校親の会でよく聞く症例のオンパレードで、


ガッツリ治療対象やん汗うさぎって思いました。


よく聞く、「不登校はじっくり待つ」という言葉。


これは以前から疑問しかなかったんですけれど、


確信をもって「待ってるだけじゃ余計拗れるパターンもありますよ」と言えますね。





そんなことで、動き出した友に拍手拍手


先は困難が山積み。


子供が引きこもっていても、じっとしている方が楽。


でも、やっぱりこのままではダメだと、動き出した。


途中で心折れないように、私は応援したいグー



気が短いようで、じつは非常に長い私。


絶対に諦めない。



一歩一歩、一つ一つ。