こんにちは
先程、次女の夏休みの宿題が終わりました![]()
真夏にニット帽
単純作業で、昨夜と今朝の少しの時間で完成しました
めっちゃ似合ってて、冬にバッチリ使えそうです。
過去には貯金箱なども作りましたが、そのあとどないすんの…的な感じになり、捨てられず…。
これなら使えるー
去年の夏休みは、
服の色でどれだけ体温上昇の差があるか(実際はペットボトルの水の温度変化を調べた)の実験をやり、
私が熱中症になり、頭痛が治らずに不登校親の会を休むということになったけれど…
今年は手軽に本人の力でやりとげてて、ええ感じやー![]()
新学期の可愛い鉛筆の準備もしてたし、
あとは雑巾だけやな。
長女の時のような、新学期が始まる苦痛はない![]()
最近はね、
9月1日ではなくて、
8月最終週には新学期。
学校が苦手な子に、
「行かなくてもいいよ」
って言ってあげられる親御さんは、
どれくらいいるのかなぁ。
これだけ長い休みがあったんだから、
いっぱい楽しいことして過ごしたのだから
行けるやろとかおもってしまったりするんちゃうのかなぁ…
学校じゃなくても、その子が安心して過ごせる場所があれば、見つけられれば良いのになぁ。
もちろんお家でも良いけれど、
家族以外の安心できる第三者の関わりというのは、
子供達の成長に欠かせないと思うのです。
社会の中での生き方、他者との関わり方、
コミュニケーション能力というのは、
親子間だけで育むのは難しい。
長女はラッキーでした。
小学校の養護教諭、適応指導教室の方々、その他にも沢山優しくしてもらい、
今はバイト先の方々に育ててもらっています。
小学生や中学生で、
学校という狭い場所で辛い経験を積んで不登校になった場合、
子供は他の世界をまだ知らないわけなので、
自分だけが世界から取り残されたと思ってしまう可能性がある。
その気持ちを払拭するには、他の世界を知る、優しい人間を見て感じて、本人の思い込みを解除していくしかない。
引きこもってしまった子供は、自分で出て行くことはできません。
そのような状況で、家族が学校に行けていないことを責め立てても、何一つ良いことは起きません。
北風と太陽。
ずっと北風を吹かせているみたい。
それよりも、親ができることは…
我が子は何が好きなのか?
何が得意なのか?
何が苦手なのか?
何に恐怖を感じるのか?
を理解しようとすることです。
これは本人に問い詰めることではありません。
親が親として、我が子を理解しようと歩み寄るのです。
その上で、家庭を安心できる場所に整えていき、
通えそうな居場所探しをしてあげてほしいです。
情報収集はネットだけではできません。
皆さん、親の会などで横の繋がりをつくり、
情報をもらっておられます。
学校や相談先から情報を得ている方もおられます。
もちろん、自分が得た情報も提供されています。
不登校や引きこもりの子が安心できる居場所は、少人数のところが多いです。
人気のあるところはすぐに定員がいっぱいになります。
適応指導教室であっても、場所によってはいっぱいです。
人気だから、対応が良いからと、人が集まりすぎると、本来の穏やかで丁寧な対応や雰囲気がなくなる場合もあります。
だから、ネットでは調べても出てこないところもあります。
実際、私も探した時には全く見つからず…
のちに知り合った不登校ママ達が、
こっそりLINEで情報をくれたこともあります。
親の情報収集と、
その情報をそれとなく本人に知らせておく
「種まき」
↑
この表現はエリーさんがよく使ってますね![]()
勇気が出る(芽が出る)までに、どれくらい時間がかかるかは分かりませんが、
まず親が出来ることはそれくらい。
長女は「種まき」(適応指導教室の情報)から、
芽を出す(通い始める)のは早かったなぁ。
本人がしばらく引きこもって、
私が仕事で放置しまくり、
暇すぎたのもあって、
フリースクールに通いたいと言ってきて、
そこから校長に教えてもらえたからなのかも?
あとは、いじめられていなかったのもある。
何より、私が怒鳴りつけたり、家からひきずりだしたりしていたことが、
一番の恐怖だったことでしょう![]()
私ね、声もでかいし、あの時は力も強かったし、口も立つしね、やるべきことはやるタイプなんで、長女からしたら「強敵」。笑
そんな私が学校に戻ることにこだわってないと長女が知って安心したのもあるかも?
二人で見学にいって、長女が笑顔になり、
私も「ええやん!」て思えて、
トンネルに光見つけた!と思いましたもん。
新しい校長に声をかけてよかった![]()
て、本間に思いました。
そんなことで、
二学期の始まりですが、
親がやることは、
子供にプレッシャーを与えることではなくて、
水面下での情報収集と、タイミングのよい種まきです![]()
新学期の朝に学校に送り出して、
そのまま子供が帰ってこず、
「おかえり」と言えない親御さんがいませんように。
