こんばんは
一日が終わってました〜
今日は父方の曽祖母の33回忌でした。
私が1番お世話になったし、安心できたおばあちゃんでした。
私が、小五か小六くらいで亡くなったのかな?
曽祖母に対する母の態度は、それはそれは酷くて、笑顔をみせて対応しているところは見たことなかったです。
無視、イライラした口調で返す、最後は泣きながら怒鳴りつけていた。
母がキレ出すと、夜に帰宅した父も入るけれど、余計に興奮し、実家に帰ることもしょっちゅう。
小さい私は母の実家から保育園に通うことも。
曽祖母は戦争を経験し、戦後は一人で弟を育て上げた人でした。
母は19歳で結婚し、20歳で出産。
五人姉弟で、自分の祖父母との同居経験ないまま
結婚して、父方の曾祖父・曽祖母・祖母と同居した。
祖母(父の母)は働き者で母に優しかったらしいが、脳卒中で他界。
曾祖父も膵癌で他界。
残された曽祖母は母と同性で、ジェネレーションギャップが凄すぎて、
まだ半分子供の母にとっては「全てが嫌」って感じだったのでしょう。
私は曽祖母が大好きだった。
感情的になることがなく、私のことを可愛がってくれたし、曲がった背中で押し車を押し、保育園にも送ってくれた。
だから、母が何故そこまで曽祖母をいじめるのか、本当にわからなかったな。
せっかく曽祖母が母に誕生日プレゼントを用意してくれても、ありがとうも言わず。
「あんなんいらんわ。」と言っていた。
だから、母が今仲良くしている90歳代のおばあちゃん先生のお嫁さんに対して文句を言う時、
物凄い違和感がある。
「そーゆーあんたは、おばあちゃんに優しくしてたんか?」と。
曽祖母の亡き後、母方の祖父母との同居が始まったのですが、母の両親だけあってこれまた凄いキャラで…
祖父は物静かだけど、一日のルーティンや食事が機械のようだった。
洗濯物などの家事をしてくれたのは助かったな。
祖母は自分達の物に全て名前を書いて、それが無くなることや使われることが嫌だったみたい。
話すことが下手で、主語もなく文法もバラバラで、何を言っているのかこちらが推測して会話していました。
物を溜め込む性格で、部屋の中が大変なことになっていきました。
母は祖父には優しく、祖母にはイラついてました。
曽祖母への対応とは明らかに違っていたけれど、それでもとにかく、私は気を使いまくりの日々でした。
なので、私は同居に断固反対派です。
同居って、子供達の生活や精神状態にも影響を与える。
かと言って、お年寄りとのふれあいが全くないのも、子供達の今後の人生に不利益があると思う。
自分の一歩先を行く人たちをみておくことは、本当に大切。
人は老いて、人に世話になり、最後は亡くなる。
だからこそ、今を一歩一歩大切に生きるのだ。
そんな事で、今はスープの全く冷めない距離に住んでおります
母には母の目線で苦悩はあったと思う。
私が生まれた一週間後に曽祖父が膵癌で亡くなり、自宅で葬儀をするタイミングと退院が重なり、着物の喪服を着て対応したこと、
私が3歳の時に祖母が脳卒中になり、人工呼吸器をつけた祖母の吸引をするため、完全看護ではない時代の病院に連日通ったり泊まり込んだこと、
介護保険がまだない時代に曽祖母が病気になり家で寝込んだ時のことなど、
母の精神状態が悪くなるたびに思い出し、発狂して怒鳴る。
まだ若い母にしてみれば、それら全てが不安で負担であったのだと思う。
それぞれの目線で世界をみている。
世界は一つなんだけど、
次女が小さい時に思っていたように、
それぞれのワールドがあって、
実は全く違う世界でそれぞれの感覚や感性や受け止め方で生きているのかなと思う。
だから、私は曽祖母をいじめていた母に対して、冷たくすることはない。
私は私のワールドで、私が後悔のないように、私や家族が笑顔で生きられるように、色んなことを調整しながら生きていく。
子供が親の顔色を伺い続けたり、
ヤングケアラーになったり、
家でホッとできないような状況にならぬよう。
これは人のためにではない。
私が私を平和な場所でストレスなく過ごさせてあげたいのだと思う。
その調整ができるのも、母が色んな失敗体験を見せてくれたからこそ、私が危険を回避できるのだと思う。
そんなことを考えた三十三回忌でした。
でも、亡くなった後に三十三回忌まで誰かに覚えてもらえているって、結構凄いよね〜
私は霊感の強い人に、「おばあさんの守護霊がついている」と言われたことが何回かある。
聞いてないのに教えてくれる。笑
絶対に、そのおばあちゃんだと思ってる。
まだ母方の祖母は亡くなってなかったし。
父方の脳卒中で亡くなった祖母は50歳代で、おばあさんと言われる年齢になってなかったし。
ピンチになっても、絶対最後に急展開で救われる。
おばあちゃん、ありがとう
リメンバー・ミーじゃないけれど、
私が生きていて認知症になって忘れない限り、
おばあちゃんは私の心の中で生きている。