こんにちは
すんごい良い天気
明日は次女の運動会
毎日毎日、集団行動やダンスを頑張っていますが、先生達から全体に向かってダメ出しをされ続け、次女の愚痴がとまらーん
運動会って楽しいもんちゃうん?
先生。
子供達の成長を促すというよりも、
来賓や上司や保護者に良い演技を見せて、自分達の評価をあげようとしてない?
二時間連続でダンスや集団行動をして、
ダラダラしてる!とか、
70点や!とか、
上から目線丸出しの指導てどうなんやろね。
早く運動会が終われば、運動会の練習もなくなるのに…と、思ってしまうほど愚痴が凄い。
運動が好きな次女。
一番力を発揮するはずの運動会。
日本は外国人もバンバン入ってきて、コロナ禍から脱出しているはずなのに、運動会は学年ごとの入れ替え制。
せっかくそこまで練習したのなら、他の学年の保護者さんにも見てもらえたらよいのにね。
長女が四年生の時の担任。
「先生、君たちはまだまだパワー持ってると思うよ!今はまだ70%くらいやけど、100%のパワー見せてや!」って、言い回しがうまかったなぁ。
同じことを伝えていても、
ダメ出し的な言葉と、
全力で励ます言葉とでは、
子供達のモチベーションも、楽しいという気持ちも全然違うなぁと…。
そうそう。
運動会といえば、長女の時は私も未熟だったなぁ。
長女の一年生の時は、学年主任の暴力的なおばちゃん先生が運動会の練習で棒を持って指導してました。
長女は不安すぎて、クマのジャッキーのぬいぐるみを抱っこして登校していました。
私も付き添い登校をしていて、運動場での練習を養護教諭の先生と見ていました。
その時、養護教諭の先生が
「叩いたらダメ!」と呟いたのです。
え?と思って先生の視線の先をみると、
暴力的なおばちゃん先生が一年生の男子に棒を振り上げていたんです。
私は学校の中でそんな指導をしていることに驚いたけれど、ゆとり教育が失敗に終わったから厳しくなったんかな?と思ってしまった。
教室の中でも、長女の担任は怒鳴りまくりでした。
学年の中で三人中二人の先生が、怒り狂ったキレやすいおばちゃんで、今から考えたら異常な二人だったんですけれど、
私はその場所やその時代の流れに合わせるものだという、自分の中の当たり前の感覚で長女に対応してしまったんですよ。
私自身、自分の育った家庭環境において、我慢することや合わせること大人の機嫌を損ねないようにすることは当たり前だった。
自分の曲げたく無い意見は、相手を怒らせずに納得させる方法を考えて伝えるやり方で生きていたのでね。
長女のように、ただ不安だけを表出するとか、ただ登校を渋るとか、
それを見ていると「甘い」と感じてしまう気持ちが強かったように思います。
これは、のちのち自分を知る作業を進めた中で、「自分の普通は、長女の普通とはかけ離れている」と、気がついたんですよね。
振り返って、どちらの感覚が正しかったのかと考えたら、
長女の感覚が正しかったのかなって。
小学生の運動会の指導で、先生が棒を振り上げて指導するとか、あってはいけないことではないかな?
人が人の指導に、棒を振り上げるなんて、やっぱりおかしな話。
この暴力的なおばちゃん先生は、運動会で「てめぇーらー」と怒鳴りながら子供達を整列させていて、クレームを言った保護者のおかげで、しばらく教科担当しかしてなかった。
なのに定年する年、次女の二年生の時の担任になってしまった。
嫌な予感しかなかった。
想像通り、次女は運動会前から登校を渋り始め、私が半年間付き添い登校をすることに。
暑い日も寒い日も、廊下や教室や空き教室で朝から午後まで付き添った。
子供の不登校対応のために仕事を辞めたこと、この暴力的なおばちゃん先生には長女も追い込まれたこと、色んなことが積み重なり、
絶対に負けられない闘いだと。
私は付き添い登校で、嫌になるほど学校内を見ることになった。
その中で、理不尽なことも、先生の大変さも知り、色んなことを感じた。
長い付き添い登校の中で、担任がふざけた男子の首を肘の内側で締め上げたことにより滅多に泣かない男子が泣き、複数の子供達が私に報告してきた。
そのあと、ママ友からも連絡が入った。
私はその瞬間は見てなかったけど、事実を確認すると担任は「あれは痛かったやろな」と認めた。
養護教諭、校長、教務主任などに報告し、緊急保護者を開くところまでやった。
その結果、その担任だけでは学級運営は困難とみなされ、定年後再任用の男の先生が常に入ってくれるようになったし、
体育は2クラス合同になったし、
校長もしっかり見てくれるようになった。
私の付き添いが次女の成長を妨げているかも?と思った時、たまたま私がインフルエンザになり、付き添いができなくなった。
次女はその間、定年後再任用の男の先生と仲を深め、一人で通えるようになったのでした。
今でもその先生とは関係良好で、
「学校でのおじいちゃん的存在」
時々、休み時間に会いに行くそうです。
保健室の先生とも関係は良好で、次女は
「学校の中にも優しい先生はいる」と思えるから登校できているのだと思う。
長女の時は、その時の養護教諭の先生に頼りっきりで、私も全然長女に寄り添えていなかった。
人としても、親としても、まだまだ未熟でした。
でも、その時の私も、その時の私なりに、限界ギリギリのところで頑張っていたと思うのです。
今目の前にその時の私がいたら、色々とかける言葉があると思うんだけれどもね…
とにかく、運動会って大変…
自分の時代って、もっと人数が多かったし、もっとゴチャゴチャしてたし、先生も大変だったと思うのだけど、
すっごい興奮して他の色と点数を比べたり、全力で走った楽しい記憶しかないんだよね〜
何が違うんだろう?
私が嫌な記憶を忘れただけなんかな?
長女が低学年のとき、運動会が終わった後にご褒美を買ってほしいと言ってきた。
私は「え?なんで?」と、
本当に心の底から疑問しか無かったんですよ。
運動会=楽しい
なのに、ご褒美ってなんでいるん?て。
自分達の組が優勝するために頑張るのは当たり前で、それが楽しいのだし、なんで運動会の後にご褒美なん?て。
もうね、その辺から長女と私の感覚のズレがね、大地震の断層くらいズレてましたね
全然アカン、おかあさんでしたね。
ちなみに、その時姉にその話をしたら、
「え?それくらい買ってやったらええやん」て言うてました
はい。
姉はお母さんとしてセンスありですね
同じ家庭で育ってもコレだから。
私の親のせいではありません。
私が異常に自分の普通を、長女に押しつけていたのだと思う。
今はだいぶ緩くなってきたと思う。
自分の回転数も、かなーり下げたし。
そんなことで、運動会の時期には毎年毎年このエピソードを思い出すのでした。
いやぁ。
強烈なおばちゃん先生。
今でもどこかにいます。
いや、下手すりゃ、まだ一校に一人はいるんではないかな⁇
学校のことは学校に任せていたらよいと思っているあなた。
子供が不登校になり、メンタルやられてどえらい目にあってから気づくのでは遅い。
子供の話をよーく聞いて、
むむ?やばい先生いる?と思ったら、
ママ友連絡網や、学校の行事になるべく参加し、
よーくリサーチしてみてくださいね
学校の先生が生徒をいじめる、
アゴが外れるくらいしばく、
いじめを放置して死に追い込む。
決してニュースの中だけの出来事ではありません。