こんばんは
今日は午前中、レポートの確認をして、明日郵送する書類達をチェック。
途中、父から電話が…
「今日結婚記念日やねんけど、一緒にランチどうかな?」
今まで一度も結婚記念日を祝っている両親をみたことなかったのに、何故か今年は母がどこかに行きたいと何度も言っていたのだ。
父は特に行きたくもないので、外で二人になりたくなくて(食事中に母に逃走されたこともあるのでね)誤魔化している間に当日となり、困って連絡してきたのだろう。
長女が午前中授業で、今日はお迎えに行かねばならないと思うし…と断るが、それなら帰ってきてから長女も一緒に行こうという。
いや、疲れて行きたくないと言うかもしれんしと言うと、じゃあ帰ってくるまでに行こうと。
しかも、店を適当に決めろと言ってきた。
もうね、ここで私は断ろうと決めました
「明日レポート出さなあかんし、二人で行っておいで」と。
父はわかっているのかな。
今は定年後の二人の生活を作り上げる課題に取り組む時であり、それをおざなりにしているから、ここ数年母の精神状態が安定しないのだ。
母の意見はいつもコロコロかわるから、わからなくもないが、父は母の全ての意見や希望を全否定するのだ。
たまに合っていることを言っても、
頭ごなしに否定から入る。
そして、母が怒り狂うというね。
父はそれに気がつくべき。
病院の合同カンファレンスで、私が両親の夫婦関係を暴露し、今は訪問看護などの第三者のサポートを受けながら在宅での生活を上手く成り立たせようと取り組んでいるのだ。
(その後、珍しく退院から数ヶ月在宅で過ごせているのだから、家族と医療従事者が共通認識をもって関わってもらえた効果はあると思う)
なので、今回は夫婦で夫婦の記念日を過ごしてもらおうと線引きした。
結果、お手頃なお店でランチしたようで、グループLINEに写真が送られてきました。
なんとか無事、喧嘩せず過ごせたようです。
私は午後から安倍さんの国葬をテレビで見ていた。
でも、テレビだとCMが入りまくり、国葬反対している人の画像が入って、全然弔えない…
なので、YouTubeの方のLIVEを見ました。
菅さん…
外でプラカードもって、反対している人って、こんな風に心から泣いてくれる家族や友達っているのかな?
反対のデモ、負のエネルギーしか感じなかった。
その人たちは、きっと自分より素敵な人や、裕福な人を悪い人と思う癖がついているのではないのかな?
自分の置かれている理不尽な現実は、全て国のせい、政治家のせい、人のせい。
問題を直視し、自分が何をすればそこから抜け出せるのか考え、実際に行動する人が、目指す世界にいけるのだとおもう。
誰かを妬み、誰かを恨み、誰かの足を引っ張り、引きずり落とすことばかりを考える人に、
助けてくれる人は寄ってこない。
自分が誰かのために何かをすれば、
結果自然と心配されて助けてもらえるのだ。
完璧な人間なんていない。
表があれば、裏もある。
光があれば、影もある。
これさえ信じれば救われる!とか。
この人は悪い人だ!とか、
0か100ではないのよね。
それって凄く危ないこと。
仕事をしている時に先輩から言われたな。
この看護が正解!と思い込んで関わることは危険だと。
迷いながら、話し合いながら、悩みながら寄り添い続けるのが看護だよって。
私もそれ、凄く思っていて。
時々、不登校関連のブログで、「私は子供の不登校で変身したぞ!」的な勢いが凄いものを見る。
過去の自分を全否定して、今の私は生まれ変わった
みたいなのを読むと、
おー洗脳されやすいなって思う。
通信制高校に通えるようになったとか、大学に入学したから不登校卒業しました!とかも、
いやいや本質的なところは理解したんかいな…とか思うのです。
たいがい、そーゆー方のブログって、そのあとまた同じようなことを繰り返しているというか、
楽観視する思考だけを身につけたなって感じることもある。
お城の下が沼になっているイメージかな。
私も長女の不登校で様々な経験を積み、学び、過去の私に比べて幸せと感じる瞬間は沢山ある。
けれども、それは今現在の自分の経験値や学びの時点でのことであって、
この先のことって、まだまだ手探りだと思うのよね。
だから、長女が毎日通信制高校に通えても、不登校卒業したなんてみじんも感じないし、
社会生活を送るための力はないわけで、今後も長女に合った生き方を本人が探して選び、親としてのサポートは続くのですよ。
話を戻して…
長女が不登校になる前の私も、
悪戦苦闘した私も、
今の私も、
全て一つの私であって、繋がっている。
過去の私がいるからこそ、今の私がここにいる。
過去の私も頑張っていたと思うよ。
その時の私には、反省もあるけれど、とても感謝していることが多い。
あの時踏ん張ったから、この生活がある。
否定ばかりで前に進まないことも、
過去を全否定して変身したつもりになることも、
私にとってすんごい危ない思考だよなぁと思うのでした。