2年前の私たち親子…

画面に上がってきたので読んでみたら。。。


懐かしい気持ちにもなるし、

昨日のことのようにも思う。


まだ軸足を適応指導教室にして通っていたんだなぁ…


時代の流れで、その時その時色んなことが起き、居心地が良かった場所がそうではなくなり、

居心地が悪かった場所が安心できる場所になることもある。


そーゆー経験を通して、人は経験値をアップさせ、悪い時も良い時も、今という瞬間はずっと続かないと学ぶのでしょうね。




それにしても私。


この数年間は本当に頑張ってきたなぁーと、自分で思う。


これは私だけではない。


私が不登校のことで知り合った方の

殆どの方が凄く大変な数年を過ごしてきた。


私は学校や適応指導教室の先生、また保護者さんと積極的に連携を取って長女が成長できるようサポートした派だと思う。


子供のタイプや状況によっては、外との連携よりも、まずは家の中で子供が安心して過ごせるようにと全力でサポートされていた方もいますよね。


親の会で話を聞いたり、ブログを読んでいると、寝る時間も削って、子供達の試し行為や巻き込みに付き合った方もいます。


我が身を削って子育てという言葉がピッタリです。


子供達が極限に追い込まれた状況では、家族で乗り越える為の大切な対応だったのかもしれません。


だけど、親の命や健康も同じくらい大切だよなって思うのですよ。


でも、実際はそこにサポートは殆ど入らない。


親だから当たり前。



そんな感じなのかな?


大人だから、自分で解決策を見出しなさい的な?


そりゃそうかもだけど…


耐えられる力は人それぞれだし、親まで体や心を壊してしまうことも、あるんじゃないのかなぁー…



今、不登校で困っている方に対して、私ができること、少しずつやっていきたいな。







昨日退院した母。


早速、「ランチに行こう!」と誘ってきた。




朝から野菜を蒸して、夫婦で食べたらしい。


あとは、母の90歳ごえの友達「おばあちゃん先生」に、お弁当を作って届けたそう。


で、カットにも行った。


そのあと、母と父と長女と私でランチ。

モリモリ食べていたもぐもぐ


午後からは、訪問看護として作業療法士さんが来る予定。


ほんで、17時半。

茹でたとうもろこしを持ってきましたーニヤニヤ


もうね、すでに躁状態だがな汗うさぎ


ただ、イライラはしてないし、とりあえず父は否定せずに、母の要望に付き添っています。


ランチの時の話。


叔父(母の弟)のお通夜などの記憶は無くなったらしい。


亡くなる前に電話して

「朝ごはん食べたか?」と聞いたら、


「今から死ぬ人間に朝ごはんとか関係ないねん。」て言われたそうで、


それが最後の会話泣き笑い


そりゃ、叔父の言葉が正しいわな。



「お母さん、不思議な感じやわ。夢見てたみたいな感じ。」と


せん妄状態の時のことを話してました。


私「どうやら沖縄にいたらしいで。なんかバカンス中なんかなー、ええなーて、沖縄にいる程で話してたんや。」


母「笑笑笑笑!全然覚えてへんわ!よっぽどショックやったんやわ。」と。


人によっては、本間にショックなことがあると、ど鬱になったり、せん妄を起こして記憶をなくせるんですね。


私は逆のタイプで、保育園の時の記憶でも甦るんですよね。


フラッシュバックてやつなのかな。


嫌な記憶は忘れられた方がよいのに。



覚えてないとあかんことはすぐ忘れるし、本間にいけてない脳みそだわ…。



そんな感じで、


今日も一日が終わりそうです。。。