こんばんは

あっという間に夜って、毎日書いているけど、本間あっと言う間。
今日から、「カウンセリング」についての講義を聞き始めた。
この前まで学んでいた「認知症看護学」は、認知症患者さん当事者の手記を読み、レポートを提出する必要があるので、まずは本をゲットしなくてはならない。
時間のない私は、それまで違う講義を受けることに。
この「カウンセリング」って、看護学校のときにも受けたよなぁ。
カール・ロジャースさんの傾聴。
でも、先生が違うと講義も違うし、私の年齢も上がって経験も増えているから学び直しだ。
カウンセリングって、決してカウンセラーが悩みの答えをくれるものではないんだよね。
その辺が、若い頃の私には微妙に思えてね。
悩みに対して、だいたいどうしたら軌道修正できるかを、ある程度提案してあげた方が、さっさと病みから脱出できるやん
ってね。

昔気質の職人が、若い職人に手取り足取り教えないみたいなイメージ。
もし教えたら、早く上達する上に、新しい技法とかも生み出す時間が得られそうだし。
私がクライアントだったら、そう思うし。
実際、子供の不登校や家庭や親の事で八方塞がりの時、カウンセリングは私たち親子にとって、ほとんど役に立たなかった。
だって、学校の内部のことや、心理学系のことって、私の中には知識なかったし、その辺サクッと教えてくれたら、あんな追い詰められることもなかっただろうし、あと数年解決が早かったのでは?とも思う。
カウンセリングの「内容」は今でも親子で謎のまま。
あれで良かったのか⁇
元々、私は自分の中でエンドレスに解決方法を考え続けるタイプの人間で、カウンセラーに傾聴してもらわなくても、一応自分なりに答えはわかっていた。
それは、仕事を切りの良いところまで終えて退職し、長女のペースに合わせた生活をする。
実際辞めた途端に長女の精神状態は改善。
私に必要だったのは、カウンセリングではなく、余裕のある生活。
そして、より良い不登校対応をするためには、カウンセリングではなく、コンサルタントの方だったのだ。
コンサルタントは、助言。
で、これを聞くか決めたり、最終の責任はコンサルティの方なので、親にある。
コンサルタント、民間だと一回数万円ですよね。
実は、教育委員会の発達系の相談をするところで、不登校対応の助言もやってくれるという話を、
次女の付き添い登校をしていた時に、一緒にいたお母さんから聞いた。
そんなん、長女の時知らんかったでー



誰か教えてくれてたら、また違ったんちゃう??
て、今更やけども…。
話は戻り、
カウンセリングは1900年に入ってから、アメリカで生まれたものなんだけど、
最初は就職するときに、その人はどんな人か、その仕事はどんなものかを分析したことから始まったんだって。
それ、わかる。
何度も言ってきたけど、
己を知って、自分の道を生きる。
それ、大事だもん。
このブログに、自分がつらつら書いている私の勝手な考え方。
私はそう思うって書いていることが、
色んな講義を受けると裏付けされていくのが面白いし、感動する。
私が考えたことなんて、とっくに先人がデータを重ねて証明しているんだよね。
心理学とか、カウンセリングとか、別にそれを生業としなくても、大学で学んでおくことはその先の人生に役立つものなのかもって思う。
だけど、前も書いたけど、この内容を20歳そこそこで腑に落ちたかと聞かれたら、それは謎。
40歳まで生きてきて、いろんなライフイベントを実際に経験し、ヘロヘロになり、一線を退き、時間を得られて、やっと講義やテキストの内容が
「わかるわぁー
まさに、それ!」て思えるのかもしれない…。

特に、現場主義で経験値重視の私だと、そうなのかなって思う。
机上で教えてもらったことなんて、耳ちくわレベルで通り抜けるもんで…
でも、机上のお勉強も大切であることはわかっておりますよ。
本間、無知ほど怖いものは無いしね。
とにかく、学んで実践だ。
てことで、小規模多機能のボランティアも実践として始めたい。
色々一気に詰め込んではいけないと思いつつ、
今を逃したらもう気持ちが無くなる気もしていて。
まぁ、ボチボチ色々やるぞ
