1から登校渋りが始まり、小43学期に完全に不登校で引きこもり。

おそらくHSCと体力がないことが原因で登校しにくいようです。


5の五月終わりあたりから適応指導教室(教育委員会がやっているフリースクールみたいなところ)に通い、学校の行事には頑張って参加するというスタンスでやってきました。


中学入学後は週4回適応指導教室への通所と、週1回中学校の別室登校をしています。



2次女、スイミング・ダンス・英会話を楽しみながら習っている元気っ子ですが、今は担任恐怖症で登校渋り中です。

学校には行きたいけど、担任が怖くて教室に一人で入れません。




今日も次女の付き添い登校をしています。


さっきは空に虹虹が出ていると子供達が騒いでいました。


午後からは雨のようですね。


昨日は中間休みに帰っていいよと言ってくれたので助かりました。


頭痛のせいでフルパワーではなかったけど、一応家事はこなせました。


今日も中間休みに帰らせてもらえたら、家事を終わらせて買い物にいくぞ!


午後からは長女を中学校の別室に連れて行き、テスト範囲とノートのコピーをうけとりにいかねば。


あとは、次女の英会話も。


なんやかんやとバタバタしますねあせる





こんな毎日じゃ、ややこしくて仕事復帰なんてできないな。


でも、仕事を辞めたのに、子供のことを中途にしてしまったら、17年も在籍した職場を離れた意味がない。



世の中には自分軸で生きるとか、やりたい事をやらないのは、結局言い訳だとか、そんな本が沢山出ているけど、私はそんな時代の流行に流されず、本当にそうなのか?と考えていきたい。




自分のやりたいことだけやる人が全員だったら、どうなるんだろう?



子供は沢山欲しいけど、仕事はしたい。

旦那や、おじいちゃんおばあちゃんに助けてもらおうと思っても、その人達もやりたいことだけやっていて、それが子守りじゃなかった場合、子供は誰がみるの?


仕事にも、派手な仕事と縁の下の力もちのようなものがあり、やりたい事だけやる人がいたらバランスは取れないし、成り立たない。




世の中には、想像を絶するような汚くて危険な仕事があるけど、誰もやらなければ皆が生活できないようなものもある。





そんな風に色々考えているから動けないのではなく、現実問題として、今、この瞬間に自分の目の前で起きていることに対して大事なことはなんなのか。


後回しにできないことは何なのか。


やりたい事を我慢してでも、自分のやるべきことは何なのか。


それを見極められるようになりたい。





今は、すぐやる!とか、スピードを求められる時代だけど、必ず次の時代はまたやってくる。


スピードを求めすぎて、なくしたものを取り返す時代になるかもしれない。


プラゴミ問題から発展して、色んなことに対しても、一つ一つ丁寧に生きる時代がやってくるかもしれない。 


そんなことを一つ一つ考え、向き合い、自分の心と相談して、振り返っても後悔がない、その時の自分はそこまでしかできなかったと言い切れる自分でいたいなーと思うのでした。