1長女

1から登校渋りが始まり、小43学期に完全に不登校で引きこもり。

おそらくHSCと体力がないことが原因で登校しにくいようです。


5の五月終わりあたりから適応指導教室(教育委員会がやっているフリースクールみたいなところ)に通い、学校の行事には頑張って参加するというスタンスでやってきました。


中学入学後は週4回適応指導教室への通所と、週1回中学校の別室登校をしています。


2次女たまに登校しぶりはあるものの、スイミング・ダンス・英会話を楽しみながら習っている元気っ子です。


中学校の同窓会に行ってきましたニコニコ


行ってよかったです。


同級生の参加は20名ほどで先生は6名。


10クラスあり人数が多すぎて元々接点がなかったひともいたけど、覚えていた人とはかなりお話できました。


先生も3名は私のことを覚えてくれていました。


当時生徒指導の担当だった先生は、ヤンキーと呼ばれる人と関係が深く私は授業以外でお世話になったことがなかったので話しかけていませんでした。


でも、一人一言挨拶するときに、自分の子供が母校に通っていて、不登校のために付き添い登校をしているとお話すると、すぐにその先生から話しかけて下さいました。


学校に車で長女を送ってくる私の姿を見かけたことがあると。

(先生は現在大学で勤務されているので、たまーに中学校にこられるだけ)


私も先生を学校で見かけたことがあったけど、私のことは覚えてないだろうと声をかけていなかったんですよね…。


実際先生はその当時の私を覚えてはいないけど、長女を学校に送ったその一瞬のことを覚えてくださっていたことがとても嬉しかったです。


だって、長女のような子を気にかけてくれていたから、覚えてくれていたのだと思うんです。


そして、私がよくここに書いている不登校の生徒のための別室を立ち上げられたのも先生だと教えてくれました。


NHKの番組でも放送されたことがあったらしいポーン


先生とはもっともっと話したかったけど、その当時のヤンキーくんが無事更正し、二次会で登場!


先生方はその変貌ぶりに歓声が上がり、昨日のことのようにその当時のことを暴露してました。


先生方が事細かに記憶されていること、正直皆がビックリビックリマーク


めちゃくちゃそのヤンキーくん達は市の中でも有名だったらしく、伝説みたいでした。


ただ、そんな目立つタイプじゃない子のことも覚えている先生って、やっぱ脳の仕組みが違うのかも??と思いました。



先生とお話していると、長女がお世話になった校長先生や養護の先生もよく知ってるよーと言われていたし、嬉しかったです。


適応にもよく行ってたよってポーン


わー、つながるつながるー!長女会ってるかも?


元生徒指導の先生は、名刺もくださったので、明日さっそくメールをしてみようと思いますほっこり


同級生とは小学校や高校の時の思い出話しも沢山でき、そーやったんやーとか、そんなことあったなーとかめちゃくちゃ盛り上がってました。




なんだか色んな意味で嬉しい再会でした。


ただ、やっぱり亡くなった先生が2名おられました。その内1名は自ら命を絶たれたそうです。


同級生は知っているだけで4名亡くなっているし、やっぱ参加して良かった。


今は今しかない!

そう思って後悔しないように過ごしたいです。