またまた、フィルムカメラのNikon FM10とNikkor 50mm F1.4を持ってプラプラとしてみる
当たり前だが、フィルム写真は撮ってすぐに確認するわけにもいかず、ネガフィルム価格高騰の中、デジカメの様にパシャパシャ闇雲に撮るという事もなく、どこか撮影ものんびりしたものだ
アナログの良さ&悪さを楽しもう
それこそ、昔はフィルムが最後2,3枚余ってたら
「もう良いや」
と、現像に出していたもんだ・・・贅沢だった時代、カラーフィルム価格が一本2千円近くする今では考えられない暴挙である
と、言う訳で梅雨の晴れ間、6月末の散歩記録をようやく投稿です
散歩のルートは都電荒川線の東側の終着停留所の三ノ輪橋から、国際通りを歩いて吉原、山谷、浅草、上野・・万歩計によると約2万歩、13キロの行程
都電荒川線の三ノ輪停留所はいつも花に囲まれ、レトロ感満載の自分も好きな場所である
ちょうどバラの花が咲き乱れ中々の映えスポットだと思う
さらにフィルム写真の質感がノスタルジー感をブーストしてくれて、ニヤニヤが止まらない
三ノ輪から国際通りを浅草方面に進むとそこは通好みのエリア「吉原」&「山谷」だ
もちろん、そう云うお風呂屋さんも沢山存在するが、江戸時代から何百年も続く歴史あるエリア
吉原の生い立ちや歴史だけで膨大な量になってしまうので、今回は亡き遊女達の慰霊を込めて吉原観音を拝むだけにする
吉原の遊女の魂が宿るのかとても美しい弁天像
吉原炎上の際に遊女達が飛び込んだと言う小さな池は水が抜かれ改修中だった
吉原大門を抜けると、一角だけ大正時代の東京を垣間見える場所がある
天ぷら屋の「伊勢屋」と馬肉料理の「なかや」だ
両店とも明治創業、関東大震災で初代店舗は倒壊してしまったが、大正時代に建てられた建屋は奇跡的に東京大空襲を生き残った歴史あるお店だ
もし、東京大空襲が無かったら未だに都内にはこの様な味のある建屋が沢山残っていたんだろうと想像する度に残念でならない
隣接するエリアはいわゆる「山谷」
かつての労働者の街も労働者の高齢化に伴い寂れる一方である
自分的にはそんな退廃的な雰囲気と東京スカイツリーとの対比が好きなエリアでもある
現在は低価格な宿が多いエリアとして海外バックパッカーに人気があるエリアらしいが、もしかして、かつては置屋街だったがバックパッカーによって国際的に人気になり現在では最もヒップなエリアとして発展したバンコクのカオサンの様になるのではないか?と、多少は期待しているのである
かつては土手が続く水路であった「吉野通り」を浅草の方に進むといわゆる「奥浅草」と呼ばれるエリアに入る
家や店舗、歩道には様々な鉢植えが並ぶ、典型的な昭和東京下町情景溢れるエリア
“奥”とか言われているが、もともとはこちらの方が元の浅草だ
最近ではお洒落なホテルやお店が並び目先の効く外国人観光客も増えてきている
そんな”裏”から浅草寺境内へ入る
浅草寺の「常香炉」はいつも日本人はもちろん外国人観光客も沢山のお約束スポット
みんなこぞって煙を浴びて喜んでおります
いつかこの中にこっそりと◯麻をぶち込んでその様子を見てみたいと思うのは自分だけか
例の疫病も落着いた後、人多杉な仲見世通り、雷門はお上りさんだけに任せておこう
浅草からは上野までは、道路下に日本で最初の地下鉄”銀座線”の走る「浅草通り」を通って上野まで・・ゆっくり歩いても30分程掛からない
浅草~上野間は歴史もあるし「かっぱ橋」や江戸東京で一番古い神社「下谷神社」など、多くの見所があるのだが、写真の撮影被写体となると別な話であまり情景溢れるスポットが少ないのが残念だ
この辺りは判で押したような店舗住居一体型の小綺麗なビルが並ぶ・・・
最後はせっかく上野に来たので、最後の気力を振り絞り上野の山を登る
西郷さんを撮って散歩終了と言う事で
いや〜足が完全に棒状態