長瀬川沿い(菱屋西2丁目)には、古風なお屋敷があります。
ここは「樟蔭学園(大阪樟蔭女子大学の経営母体)」の「樟徳館」と言い、
1932年(昭和7年)に建てられました。

樟徳館
実は「樟徳館」が建てられる以前の2年間(1928年~1930年)、
この場所には「帝国キネマ(通称:帝キネ)」の「長瀬撮影所」がありました。
敷地面積30,000平方メートルで、3,300平方メートルの屋内ステージを2棟も備えていて
「東洋のハリウッド」と呼ばれていたそうですが
1930年(昭和5年)9月30日の火災より、その幕を閉じました。
大きな撮影所が、わずか2年で・・・
その後、映画の撮影は「京都太秦」となりました。

「帝国キネマ長瀬撮影所跡」の案内板
長瀬川に架かるすぐ前にある橋には「帝キネ橋」と言う名前が付けられています。

帝キネ橋