土合の地底探索が終わって、後はもう帰宅するだけだ。
しかし、あと一つ今回の旅の見どころが残っている。
土合を出発するとすぐにトンネルに突入する。
そんなのはお構いなしで私はずっと、進行方向の右側のドア付近に張り付いてカメラを構えていた。
トンネルの一つ目を抜け、二つ目を抜け…
今だ!!
深緑の中から浮かび上がるループ線の姿。
私の稚拙なカメラの技術でも、何とかを写真に収めることができた。
列車の車内でカメラを構えるなど、3日前の自分からは、想像もできない姿であった…
ここは土合~湯檜曽間にあるループ線。
ループ線とは、山間部に螺旋状に線路を敷設することにより、急勾配を緩和する工夫である。
鉄道に限らず、道路などでもこの技術がしばしば使われている。
日本で現存する鉄道のループ線は、ここを含めて数点しかなく、ループ線は鉄道遺産として扱われるケースも少なくない。
ちなみに上越線では、この区間の他に越後中里~土樽間でもループ線(松川ループ線)が存在する。
しかし有名なのは、今通っている「湯檜曽ループ線」のほうである。
画像のように、列車の車中から、数分後に通る線路が進行方向の真横に真っ直ぐ伸びていて、さらに次に停車する駅のホームまで見えるという、非常に珍しい光景が目の当たりにできるからである。
この光景は列車の車内からでしか臨むことができない。
しかも1日に何回もこの景色を見たいと思っても、そのチャンスは1日に数回しか無い。
湯檜曽~土合間の下り線は全く違うルート(新清水トンネル)を通るため、ループは見ることができない。
よって上り線に限られるが、土合~湯檜曽間を走る列車の本数も少ない為、1日に何度も見れる景色では無いのである。
そこまでしてループを見たい人がいるのかどうかは、最大の疑問ではあるが。
湯檜曽駅の上りホームからも、数分後に到着する列車が山に沿って真横に進んでいく光景も見られる。
後から知った話だが、昔の湯檜曽駅は、私が写真を撮った地点付近に存在していたらしい。
私の隣には、私と同じように湯檜曽ループを写真に収めていた小学生低学年ほどの男の子がいた。
私は彼と写真の見せ合いっこなどをしていると、いつのまにか湯檜曽に停車した。
ループの中はそれほどカーブや勾配を体感することは無かった。
12時39分。
定刻通り列車は水上に到着。
さすがは観光地だ、土合よりもたくさんの人がいた。
その頃ちょうど、高崎から来たSLが、転車台によって回転されようとしていた。
ぜひ写真に収めておこうと思ったが、周りにはもの凄い人だかり。
人ごみが苦手な私はそれを見て、SLに近づく気が完全に失せてしまった。
(私が「撮り鉄」になれない理由はいくつかあるが、その一つがこれである)
駅前の定食屋で、舞茸天そばを頂くと、店の人から記念にとSLステッカーを貰うことができた。
SLの写真を撮れなかったせめてもの救い、というとこか?
水上から上越線~高崎線と乗り継いで、本庄に着いたのは午後3時半を過ぎていた。
聞き慣れた「JR-SH7」のメロディーがホームに流れる。
2泊4日の旅の中で、本庄に降りた瞬間が一番暑さを感じた。
帰宅して、私は今回の旅について一つ確信が持てた。
鉄道って、面白い
ここまで心を震わされたのは、私の人生で初めてかもしれない
もっともっとたくさん鉄道に乗って
もっともっとたくさんいろんなところに行きたい
自殺なんてしてる場合じゃない
鉄道に乗るためには、生きなければ…
荷物を整理していた時に気付いたが、旅先で抗鬱剤を1回も服用していなかった。