第1旅第8章:そして僕は地底に潜る | もこ太郎の平成阿房列車

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私が行った鉄道の旅をレポートさせて頂いています!
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新潟から来た上越線上り水上行き普通列車、車内はそれほど混雑した様子はなかった。


前日訪れた、姨捨から私の自宅のある本庄まで、その日のうちに決して帰れない距離では無かった。

だが、もう一つ行きたい駅があったのだ。
それが今日の目的地である。


列車は、越後滝谷、越後川口、越後堀之内と、いかにも新潟らしい名前の駅に次々と停車していく。
上越線は国道17号と一緒に、越後川口まで信濃川、それ以南は支流の魚野川と並走する。
並走というよりは、一旦川とくっついたかと思うと離れて、そのうちまたくっついたりを繰り返す。


六日町駅以南は、スキー場と直結した駅が多い。さすが豪雪地帯を走る路線である。
しかし新緑の絨毯がひかれた真夏のスキー場は、人の気配もまるで無く、そのまま自然に返ってもおかしくなさそうな様相である。


越後中里駅では、駅直結のスキー場の手前に、ブルートレインの客車が何両も並べられている。
おそらくスキー客の休憩所として使われているのだろう。

ブルートレインと言えば、30年ほど前、家族旅行で大阪から九州までブルートレインに乗った記憶がある。その頃の私は小学校低学年であった。
乗った列車は「はやぶさ」だったのか「富士」だったか?これはあまり記憶がない。
しかし乗った客車はB寝台の上段で、興奮と揺れで殆ど眠れず、枕元の照明をつけてずっと何かの本を読んでいたのだけはよく覚えている。



その越後中里を過ぎると、それまで並走していた下りの線路と大きく分かれて長いトンネルに入る。


トンネルを抜けると土樽という駅に停車した。
大きなホームの割に、周りには何も無さそうな駅だ。こんな駅を定期的に利用する人はいるのだろうか?


土樽を出発すると、さらに長いトンネルに入る。
いったいいつになったら外に出れるのか?と思わせるほど長いトンネルだ。
この時は何も知らなかったが、このトンネルは、川端康成の小説「雪国」の
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」
という有名な冒頭に出てくる、清水トンネルだという事を後程知った。


その清水トンネルの中で、車内放送で次の停車駅が告げられる。


トンネルを抜けると、山奥の真ん中に駅があった。私はここで下車する。
下車することに、もう何のためらいも無かった。今回の旅で変な度胸がついてしまっていたらしい。
列車が停止し、ドアを手動で開け、ホームに降り立つ。



ここは…



土合(どあい)駅


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この駅以南は群馬県に入る。ここでも真夏の日差しが非常に厳しい。
ここで下車した乗客は数人程度であった。私は列車を見送った。


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ホームから無人の改札口を抜け、


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割と広い印象の待合室を抜けて駅の外に出てみると、なかなか立派な駅舎の前にたくさんの人がいた。
今回の旅で訪れた駅の中で、一番の人だかりであった。


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列車から降りた人はそんなにいなかったはずだが…
おそらく、大半の人は車で来ているのだろう。
駅前は大きな広場のようになっており、そこに車やバイクが何台も駐車されていた。
車以外の人は、水上から下り列車で来たと思われる。
個人的には、駅には鉄道で来訪してほしいところだ。


この駅も、小和田、姨捨に並んで大変有名な駅である。


この駅は「日本一のモグラ駅」と呼ばれている。


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その所以は、同じ駅なのに、上りホームと下りホームが大きく離れた場所に位置していること。
私が下車したのは上りホームだが、下りホームは地上には存在しない。
下りホームは、駅舎からひたすら階段で下って行った先のトンネルの中にある。


どうしてこのような駅になったかというと、上越線は開業当初は単線であった。
その当時はトンネルを作る技術も未熟であった為、なるべくトンネルを作らないルートで線路を作り、線路の途中で信号場を作った(後に信号場は駅に昇格)。
このトンネルとは、先ほど私が通った清水トンネルの事である。
しかし後から複線になる時にはトンネルを作る技術も進歩したので、複線化工事で一気に長いトンネルを作った。
後者のトンネルは、新清水トンネルの事である。
そうしたら上りとなる線路、そしてそこにあるホームとあまりにも掛け離れてしまった。
でも上りにホームがあって、下りにホームを作らないわけにはいかない。
よって、強引に新清水トンネルの中にホームを作ったら、こんな駅になってしまった…


こういう風に話してしまうと、何とも間抜けな話に聞こえるだろう。

しかしそれが幸いして、今では関東の駅百選に選ばれるほどの有名な駅になったのだ。



ここで私がすることは、まず下りホームまで階段を下りて、そこからまた戻ってくるという非常に無駄な行為。
しかしここを訪れた人の殆どは、階段の往復を行っていたようだ。
この駅を訪れたら、必ず行う儀式となってしまっているのだろうか?

自分も含め、ご苦労様である。



駅に戻り、改札口を抜けて左に進むと下りホームがあるとの案内図が掲げられている。
その案内をよく見てみると、
「(注)486段の階段を下りますので、10分要します」との事。


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案内通り進むと、まずは数段階段を下りた先に、真っ直ぐ渡り廊下が伸びている。


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この渡り廊下で、県道と小さな川を渡る。
窓からはせせらぎが見渡せた。


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渡り廊下を抜けた後が、この駅のハイライトである。


目の前には、想像を絶する光景が広がる。


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どこまで階段が続いているのだろう、階段の先が見えない。

下りホームへは、この奈落の底に向かって進まなければ到達できない。


足元に注意を払いながら、462段の階段を1段1段降りてゆく。
一つの段は比較的広めに作られており、5段単位で小さな踊り場のようなスペースが設けられている。
降りる方向の向かって右側に、階段になっていないスペースが取られている。

エスカレーターを作る計画でもあるらしいが、現実には至っていない。


200段ほど降りたところの踊り場に、休憩用のベンチが設置されていた。

JRのちょっと粋な計らいを感じた。

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階段を下り進むにつれて、体感温度も下がってくる。
壁からは、ところどころ湧き水が流れている箇所があった。

洞窟探索でもさせられているような雰囲気だ。


ようやく下りホームにたどり着く。

案内の通り、改札から10分近くはかかったと思われる。

もこ太郎の平成阿房列車

Tシャツ1枚羽織っただけの私の体には、かなり肌寒さを感じた。


ホームは薄暗く、湿度もかなり高いらしい。壁や天井に苔が生えている箇所もあった。
プレハブで作られた小さな待合室があり、

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私はそこで時刻表を見ていると、一組の初老の夫婦が私に話しかけてきた。
この夫婦も、18きっぷであての無い鉄道旅行をしているようだ。
私の小和田や姨捨の訪問談を熱心に聞いてもらえて、少し嬉しくなった。


体の冷えに限界を感じ始め、急いで地上に戻る。


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スポーツバッグを背負ったまま、無心で階段を上り続ける。

ちなみにここ土合駅は、登山で有名な谷川岳の最寄駅となる。

下り列車で土合を訪れた登山家は、まずこの上り階段で、否が応でもウォーミングアップさせられることになる。


先ほどの初老の夫婦が、階段を上っている途中であった。
私は、「大丈夫ですか?無理をしないようにして下さい」と一声かける。
夫婦は笑顔を見せてくれた。


地上に戻ってきた。かなりの疲労感が付きまとう。
気温は高いが、湿度は地下よりも低いため、僅かながらすがすがしさを感じた。


上りホームで待っていると、先ほど乗ってきた列車と同じ、グリーンの塗装の115系がホームに入線してきた。


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私はこの列車に乗り込み、水上へ向かう。



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