敷根医師神社より「じんちゃん」の案内で敷根火薬製造所跡に移動する。
1,863年島津斉彬は外敵に備え「富国強兵策」をとり、敷根に火薬製造工場を
多額の資金をつぎ込んで建設した。
国道沿いの案内板と水源の高橋川、この川の上流が製造所跡。
現在は田んぼになっているが火薬製造所跡地、当時の石垣が残る。
昭和53年建立の記念碑。
錦江湾を望む。この環境からこの地に大規模な火薬製造所が建てられたわけが、わかるような気がする。
そして、西南戦争時、官軍の艦砲射撃によって破壊された。
地図はこちらhttp://yahoo.jp/Gx8rmg
今回の敷根探訪は「たれめのじんちゃん 」さんにお願いして案内して戴きました。有難うございました。