今回は昨年探索しました霧島市の清水城跡の写真を紹介をします。
清水城は国分の清水地区の東側に切り立った標高150Mの絶壁の丘が
連なっているのが見えます。その昔熊襲、隼人の居城で、熊襲タケルが立てこもった城塞
と伝えられています。
周囲はほとんど断崖絶壁で城域は東西900M、南北600Mあったといわれています。
清水側の麓には天御中主神社(北辰神社)南方神社、諏訪神社があり、北辰神社は
清水城の周囲に7つの突端があるので、北斗七星にちなんで「北辰」の名がつけられたと
いわれています。
平安時代末期から鎌倉時代にかけて税所氏の支城であったが、本田氏代々の 居城
として栄え、その後島津忠良・貴久父子によって攻略され貴久の弟の島津忠将
が城主になっている。永禄4年(1561)廻城の戦で 忠将が戦死した後は子の以久
孫の彰久が継いでいる。忠将は北辰神社の北にあった鑰掛け(カンカケ)の下
居城(屋地)を設けたという。この一帯を外城といわれています。
忠将・同婦人・彰久の墓は、清水の楞ごん寺(りょうごんじ)跡の共同墓地に立っています。