リンのこと
腎臓病だと診断されて半年くらいは経っただろうか。
点滴に通い、薬も飲んでみたり。
点滴でしばらくは元気だった。2日おきだったり2週間だったり。本当に病気かな?と思うくらい元気になったりして。
年を越せるか、から桜が見れるかになり、桜が散って街が緑一色になろうとしている今
凛太郎は旅立ちそうだ。その時を静かに迎えようとしている。
迫りくる死を前にして、もこや、クロのことを考える。柔らかな思い出から辛く悲しい思い出を引っ張り出してきて、後悔のないように、してあげられることはないか?
あの時はこうだった、
ああだったからこうしたらどうかと
あの子達の死から今、リンにしてあげられること、
とても多い。
あの時は恐怖がとても大きくて、思わず現実から目を背けそうになるのを必死に堪えているような
そんな時間だったように思う。
今はちょっと大丈夫なの
ちょっとだけ冷静に慈しみをもって身体を触る。
低体温でとても冷たい手を握る。
声をかけ、お腹の呼吸数や、浅さ深さをジッと見る。
時々顔を上げて立ち上がろうとしてみたり。
鳴いて呼ぶ
ここにおるよ、と撫でたらまた寝るの
昨日夜、頑張ってと言ってしまったんだよな、思わず。
心の中でしまった!伝わってしまうと思ったけれど、思わず口をついて出た言葉とそれを打ち消す心の声と
どちらが本心だろうかなんて考えたり。
どちらも本心だろう
4/30.5/1と水だけご飯食べなくなり5/1の夜(明け方?)からは水は一口だけ
今11時
鳴いて起きては寝てを繰り返している。
毎日
毎日思う。
死が確実に近づいてきていると。
明日じゃないかもしれない、だけど確実に老いを感じてその時が来る。
とても怖い、、
未来に生きても仕方ないけど、思わずにはいられない、怖くて仕方ない、とても
永遠はない、等しく誰にも何にも。
頭で理解していてもその瞬間はトラウマ級に衝撃だから。
看取るというのはそういうこと。
可愛い時はあっという間に過ぎ去り、落ち着いてきたと思ったら、老いもあっという間にきた。
一つネガティブな事ばかりじゃないのは、老年期は幼年期以上に可愛いということかな。
こう思うのは、一緒に積み重ねてきた時間があるから。これは事実。
私には責任がある。
息が止まるその瞬間を見届けること、命を生ききらせること。共に生きる決意をしたあの日からこれは変わらない。
後悔は必ずする。誰でも必ず。
後悔と罪悪感と喪失感は必ずあるものだから。これは 嫌というほど経験したからわかること。
同じ痛みじゃないけど、繰り返し繰り返し、、
毎日を大切に過ごすしかない。
しょーもない独り言
もこが亡くなり、2年が経とうとしている。
どうも時間の感覚がつかめない。
確かに毎日は過ぎていき、時間は経過しているというのに。
笑って思い出話ができるけど、
今になって後悔ばかりが押し寄せる。
あの時、あの時、あの時、、、と。
頭では理解している。
いつかはみんな死ぬということ。
それについては、事実でしかなく
それ以上考えてもそれ以下でも以上でもない、、
もう死という感情の体験はしたくない。
壊れた心は思い出でつくりなおす。
去年の出来事で壊れた心が修復されつつある。
産まれ落ちた瞬間を見た深夜。
看取った夜と、昼間。
手の平に感じる毛の感触を思い出して、ああ、これが今現在の状況なんだなと俯瞰している。とてもいい意味で。
心理学などの本を読めば、立ち直りのプロセスが書かれているが
立ち直りではなく、作り直しだったなと思う。
最初は、心が砕けて散り散りになった“モノ”を
ただ眺めたり
見て見ぬ振りをしたり
すくって食べたり
自分の中にある知識と経験は、感情の前では意味はなかった。
時間が過ぎてゆくのが辛くもあり、救いでもあった。
今でも動いているあの子達を見ることは出来ない。不意に聴こえる声に、心がかき乱されるしまだ時間が足りない。
だけど、散り散りになった“モノ”をかき集めて
思い出で彩り、再生している気がしている。
大きく砕けているものは、ここに。もう粉々なら、いっそ線香立ての灰にでも混ぜとくかってな具合。
呼吸が浅かった自分に気づいて無理矢理にでも、深呼吸してみたらなんだかクリアになった。
壊れたら元には戻せないことを痛感して実感するとともに、
だったら新しくつくればいいじゃんと思えるところまではきたかなと思う。
私が死ぬその瞬間まで覚えている為にも、なんとしてでもボケるわけにはいかんと、謎に気を引き締めて生きる。
今を生きていたあの子達を想いながら
今日も少しづつ心をなおす。
思い出に助けられながら。こんなに思い出たくさんあるんだから、大丈夫だと素直に思える。
辛い時は過ぎてゆく。
無くなりはしないかもしれないが、確かに共に生きた事実が
大丈夫だって言える自信になっている。
お線香でモクモクになっていたあの頃の自分に言いたい!
もう毎日お線香焚いてないから!
でも大丈夫だよ
もう泣いてない!
だって出ないもん。。
でも辛くないわけじゃない!!
忘れたりしない
絶対や永遠があるとするならば、今だ!
何を感じたっていい。何かをする事で紛れたり納得するのならばすればいい。
それが自分の一部になるのだから。
大丈夫だよ
めいにち
今日はもこの命日。一周忌?てやつだね、猫にも使うのかはわからないけど
一年前のあの日から毎日考えない日などなくて、
平気か平気じゃないかだけの違いで
平気か平気じゃなくても、あまり考えないようにして
そしたらあっという間に一年経った
よく昨日のことのようにとか言うけれど、
わたしにとっては、もこの死はまだ死んでないとも死んだとも、どちらでもあって
いわゆる、心と身体が一致してないってやつに似ていて
決して二面的な考えだけじゃなく、多面的にもこの死はわたしの中にあるようでない。
言い表せられない感情が渦巻く日も、思い出話に花が咲く日もある。
でも、いつも思うのはなんで死んだんだろう?なんであの時だった?確かに死ぬ瞬間までそばにいるしそばにいてよとは言っていたけど
受け入れる日なんて一生こないとも思う反面、苦しくて手放したくなっている。
もう写真やビデオの中にしかいない、いや、記憶にもいるじゃないか、いや、記憶は薄れる
思い出せなくなる匂いも感触もあの時の自分の感覚でさえも
そうしないと人間は生きていけないらしいもんな
まだわたしは骨を拾ってもさよならを心の中でいっても握りしめたままでいる
自分に足枷をつけてここから動かないようにと、つまんない人生だなぁなんて思っても変わらない毎日を求めているからこうなんだよなー
しばらくまた寝たままでいたい
どこにも行きたくないしどこにもいってほしくなかったのになぁ
ずっとそばにはいられないらしい
それが命で。
またわたしは明日目覚めることが出来たらこんなくだらないことばかり考えるんだろうな
答えの出ないことばかり。答えが出ないからいいんだろう
答えが出たら次にいかなくちゃいけないもんな
そんなの一番嫌だ