若い時の友人も素晴らしいが、
老境に入ってからの友人は、なお素晴らしい。
若い時は何でもそうだが、
友人があるのは当たり前だと思っている。
老境に入れば、友人をもつことの深い意味がわかってくる。
エドヴァルド・グリーク
学生の頃は見知りも少なければ、相手への恐怖心も小さかった。
でも、歳を重ねるたび相手はどんな人なのか警戒心を持ちながら近づく。
きっと自分ではそう思っていなくても、ただ気づいていないだけ。
私たちは、自分も相手も傷つかないような距離感を保っている。
友人も数が多ければ多いほど良いわけじゃない。
大事なのは、あなたが本当に困っている時に
手を差し伸べてくれる友人がどれだけいるかってこと。
そして、その時あなたが相手にどれだけの感謝を感じるかってこと。
感謝は対価じゃない。
モノじゃない。
それは、形にしなくても伝わるものです。
あなたがそれだけ真剣であれば。
久々に会っても、昨日まで一緒にいたかのような会話ができる
私は相手にとってそういう友人でありたいと願う。
友が困っていたら、ふと私を思い出す、そんな人間になっていたい。
友が困っていたら、真っ先にとんでいける、そんな人間でありたい。
もしも貴方にしてあげられることといったら
一緒に泣いてあげることくらい
そして両手を合わせて祈ることくらい
だけど決して私を優しい男だと
どうか思わないで欲しいんだ
なぜならば人知れず俺だってこっそり泣くのだから
友よ その昔 俺たちは汗をかいた
友よ その昔 俺たちは西陽を追いかけた
友よ その昔 俺たちは土の匂いをしてた
友よ その昔 俺たちは守るために走ってた
もしも貴方に一緒に泣く人間がいなければ
涙が枯れるまで貴方が泣けばいい
そして俺たちの昔を思い出して欲しい
だけど決して決して諦めないでくれ
どうかもう一度広い校庭の向こうの
手の届かなかった頭の上
赤さびた鉄棒にぶら下がろうよ
友よ 君たちは今 汗をかかなくなったね
友よ 君たちは今 西陽に背を向けてるよね
友よ 君たちは今 土の匂いに鼻をつまんでる
友よ 俺は今でも 守るために走っていたいのだ
「人間」につづき「友よ」・・・長渕の歌はいいですよ。