ありすのブログにお越しいただき
ありがとうございます
今日は少し思い出話を…
もう30年以上前の事
保護猫活動
ボランティア
そんな言葉も知らなかった頃の事
猫は外で自由に
が普通だった頃の事
私は一匹の猫に出会った
おなかをすかせて鳴いていた子は
お腹が大きかった
悩んだ末に
餌をやった
がっついて食べる子に
言って聞かせた
家に入れてはあげられない
だから家の縁の下で生みなさい
お腹をすかせてさ迷わせる事だけはしないから
わかったのかはわからないが
私がチビと名付けた子は
やがて四匹の子猫を産んだ
ヨチヨチとチビについて餌を食べに現れた子を見て
家の庭から出ないように
何度も何度も言って聞かせた
わかるはずのない猫に
言って聞かせた
けれど
三匹の男の子は姿を見なくなった
親離れの時期ではあったが
餌をもらえる場所はあったのかと
毎日子供と探して歩いた
それから時折
夕方の餌の時間に姿を見せるようになった子は
がっちりとした体になり
私を安堵させてくれた
まだ田舎だったから
どこかの家にお世話になっているんだと…
それから
チビと錆び猫の女の子は
ずっと私の外猫で
段ボールの中に毛布を敷き
冬は使い捨てカイロを入れて
時折やって来る猫にも餌をやり
その間に家に入れた猫が
うちの家猫一号のべぇだった
外猫と家猫
どこで線を引いてしまったのか
その後悩みもしたが
7年後
チビは
入院先の動物病院で亡くなった
ボロボロと名付けた
錆び猫の女の子は
玄関にゲージを置き
獣医さんに往診してもらいながら
最後は眠るように亡くなった
そして
その後
気にかけていた外猫は
みんな姿を消した
毒だんごをまかれたとも
噂で聞いた
姑さんや親戚とのいざこざの中
外の子を送るまでは
ここにいると決めていたから
餌をやるから増えるんやと
バケツで水をかけられた事も
避妊も去勢もしてると
いくら説明をしても
わからない人もいた
子猫を連れてきては
置いていく人もいた
少し離れた場所で
昔から
餌やりをしておられる方が
いたので
うちにはチビとチビの子以外は
たまにしか来なかったのに
小さな命を守る事が
どれだけたいへんかと
思い知らされた
小さな命を
押しつけて
私が見離せないのを
知っていて
断ると怒り
約束した
避妊するお金も
出さなかった人もいた
もしかしたら
今も昔も同じなのかもしれない
許容範囲を越えての保護だけは
できないと
目をつむった事もある
神様に
どうぞ出会わないようにと
お願いした事もある
人間あっての保護
今
ニュースになっている
ボランティア崩壊は
起こるべくして起こったのか
なぜ
あそこまで酷い事になったのか
保護活動の苦悩と現実
今の私を
チビとボロボロは
空の上から
どう思って見てるだろう
チビの最期を看取ってくれた
開業してすぐの獣医さんは
小さな子を抱える私から
お金を取らなかった
私の子供に玩具を買ってと
笑った
けれど
今では
お金儲けに走るとか
あまりいい噂は聞こえて来ない
そこにも
命に関わる難しさを
感じてしまう
私のしんきくさい思い出話に
お付き合いいただき
ありがとうございました
苦しい思い
悲しい思いをして
魂になった子達が
生まれ変わってきたいと
そう思える世になりますように