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いつの世も

理不尽という言葉は

消えない


大学の頃

まだまだ

障害児や
発達障害に対しての
理解がなく

療育も
今ほどは整っていなかった

おかしいやん

なんで?と
思う気持ちを

素直に表現できずにいた

的確な言葉を
見つけられずにいた

健常者も持つ理不尽さ

そして
障害を持つ人達が持つ理不尽さ

それぞれの立場からの
理不尽さを
いくら
訴え合っても
交わるところは
ないのかもしれない

そして
結果的に
健常者が作る壁

知らず知らずに作ってしまう壁

さくらさくらんぼ保育園で
当時行われていた
統合保育

健常児も
障害児も
同じ

それが根底にあり
お互いに
ないもの
足りないものを
埋めていく

そんな保育だったと
記憶している

その頃
私は
「同情」という言葉を使い
同じ学科の子達から
とてもパッシングを受けた

「同情」

情を同じくすること

目の見えない人が
どれほど不便だろう

耳の聞こえない人が
どれほどたいへんだろう

手の不自由な人の
足の不自由な人の

気持ちになり

情を同じくすることで

その人の
目となり
耳となり

手となり
足となる

発達障害は

相手の個性として
受け入れること


それが相手への思いやりだと
それが相手へのリスペクトだと


私は思っただけなのである

助けるのではない
共にいることで
自然と
相手の苦手なこと
できないことを

できる子が
普通に
代わりにしている

子供達にできて
大人にできないはずはないのに

そう思っただけなのである

私は結局
福祉の現場には入れなかった

その時に
ある先生から

あと十年
あと二十年
その頃には
福祉の現場で
夢を語れるようになる

その時に
中堅と呼ばれる立ち位置で
現場を動かしたいなら
今の理不尽さには
耐えなさい

今のあなたの考えが
未来を作るんだから


そんな事を言われた


たしかに
それから
ずいぶん
変わったと思う

でも
それでも
理不尽な思いを
する子供達や
ご両親はいらっしゃる


24時間テレビが
始まった時も

お祭り騒ぎで
終わらないようにと願うと

そんなレポートを
書いた


理不尽さを
産み出しているのは

紛れもなく
人間なのだから


募金を募る前に

同じ命を持つ人間だと

この世に生を受けた同じ命だと

ちゃんと教えて


それがわからないと

自分とは違う相手を
認める事ができないと

そんな事を思った


人は人

自分は自分

されど仲良く


さくらさくらんぼ保育園の
子供達のように

共に育つ

共に生きる

それは
やっぱり
理想でしかないのだろうか


どうか
理不尽さを乗り越えて



はやとくん


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