お蕎麦を食べて、新薬師寺へ。2回目の訪問

新薬師寺は、天平19年 (747)聖武天皇の病気平癒を祈願して、お后の光明皇后によって創建されました。
以外、パンフレット引用
聖武天皇は、天平十五年(743) 動物 植物 ことごとく栄える世の中をめざし、皆で力を合わせて盧舎那大仏を造立することを発願され、近江国信楽宮で行基菩薩をはじめ多くの人々とともに大仏造立に着手されました。

ところが、天平十七年(745)に入り、山火事と地震が頼発したため、工事を中断して平城宮に戻られました。
大仏造立は平城宮の真東の山麓(現在の東大寺)で再開されましたが、天皇ご自身は 体調をくずされました。
そこで天皇の 病気を治すため、都とその近郊の名高い山、きよらかな場所で薬師悔過(やくしけか)が行われ、都と諸国に薬師如来七軀を造立し薬師経七巻を写怪することが命じられました。
悔過(けか)は、過ちを悔いるという意味 で薬師悔過は、病苦を救う薬師如来の功徳を讃嘆し罪過を機悔して、天下泰平万民快楽を祈る法要です。
これは 悪いことが起こるのは、貪(欲ばり)、瞋 (いかり)、愚痴(愚かさ)の三毒によって 生じる罪業が、戯(あざ)れとなって人々の心に蓄積されるからで、身を清め薬師如来の御前で罪を懺悔することによって、心の戯れを取り除いて悪いものを裁い、福を招くことができるという考えです。
新はあたらしいじゃなくて、「あらたかな(神仏の霊験(れいげん)や薬のききめなどが著しいこと。)」という意味の新だって。