今夜のとしさんのブログ、
胸の奥に残る言葉でした。

『北陸から、世界へ』

その言葉には、
ただ“地元から発信する”という以上の、
とても大きな広がりを感じました。

「受け継ぐこと」と「生み出すこと」
その両方に、いま向き合っている

という言葉も、とても印象に残ります。

受け継ぐことは尊いけれど、
守るだけでは次へは届かない。

作品や文化への敬意を失わずに、
新しい場をつくっていくこと。

そこには、
そのあわいに立つ
静かな覚悟のようなものを感じました。


わたし自身、長く
受け手であると同時に、
支えること、つなぐこと、
そして何かが生まれる瞬間に立ち会う
喜びと責任を、少しずつ知ってきたように思います。

だから今回の言葉は、
「素敵だな」という気持ちを超えて、
どこか仕事の感覚や、
自分が大切にしてきたものにも
そっと触れるように響きました。


受け継がれてきた熱を
『大切に抱えながら、
それをさらに増幅させて、
明るく、楽しく、強く、
晴れやかに外へ放っていくこと』

金沢の地から生まれる
愛と祝福の音が、
人の心に希望の光を灯して、
この先さらに大きく広がっていきますように。

どんな新しい景色に出会えるのか、
7月を心から楽しみにしています✨

昨夜の余韻が、

まだ静かに胸に残っています。

としさんのセレモニアルピッチでは、
練習動画で拝見した
あの美しいフォームがまず胸に浮かびました。

本番のマウンドに立つお姿には、
野球少年だった頃の夢が
そのまま重なって見えて、

こちらまで自然と
息をのんでしまいました。

すっと伸びる綺麗なフォーム。

その一方で、
指先からほんの少し早く離れたように見えたボールには、
たくさんの野球ファンが見つめる中で
夢の瞬間を生きていた、

少年のとしくんの緊張まで
宿っているように感じました。


それでも、
ホームベースに届いたその一球を見たとき、
ああ、ちゃんと想いが届いた、と思って、
私はとても嬉しくなりました。

うまく言えないけれど、
夢の舞台に立つ姿そのものが
もうまぶしくて、

忘れられない場面になりました。 


そして、そのあとに響いた国歌独唱は、
まるで別の次元の扉が
ひらくようでした。

澄みきっていて、
一点の曇りもない。

けれど、ただ透明なのではなく、
どこまでもやさしく、
包まれるようにやわらかい。

高く、遠くまで抜けていくのに、
決して鋭くはならず、
まっすぐ天へ開いていくような響き。

私は聴きながら、
これは“闘う声”ではなく、
“天にひらく声”だと思いました。

ロックの刃のような強さではなく、
透明度と包容と、
空へ通っていく祈りのような力……。

きっちりと定まった音というより、
その少し向こうを、
光のように浮かびながら
進んでいくような音。



理論ではたどれるのに、
現実には触れられないような、
そんな不思議な美しさがありました。

私の耳には、
最初はG#を中心にしたような、
少し高いところで光がひらく響きに聴こえ、
《八千代に》の永遠を歌うその音のなかで、
重心がやわらかく移っていくように……。

ただ高く遠くへ抜けていくのではなく、
ひらいた光がやさしく地上へ降りてきて、
胸の奥に静かに留まっていくような感じ。


あの不思議な美しさは、
そんなふうにして
生まれていたのかもしれません。



少年の夢にふれた一球と、
天へひらくような国歌独唱。

地上と天上のあいだを
行き来するような一日。

試合の大逆転も含めて、
昨日の横浜スタジアムには、
何か祝福のような流れが
通っていた気がします。

今もまだ、
あの澄んだ響きの余韻の中で、
ゆっくり呼吸しています。

北斗の拳のエンディング

『愛をとりもどせ!!』を聴いて、

久しぶりにブログを書きたくなった。


昔とはまったく違う響き方をしていることに

気づいたから。



若い頃は、
この曲の強さや勢い、闘うエネルギーに

心をつかまれていたけれど、


ToshIさんの歌声で
あらためて聴く『愛をとりもどせ!!』は、
その奥にある深い哀しみだけでなく、
それでも失われかけた希望を
呼び戻そうとする

静かな覚悟まで胸に残った。


でも、その響きの奥にあるものは、
絶望の哀しみではなく、
失われた世界の中でなお人を人でいさせる、

愛の影なのだ🌙




「愛ゆえに哀しみを背負う」というのは、

ただ報われない愛のことではないのだと思う。




深い愛ほど、
まっすぐな願いだけでは済まなくなる。
だから愛は、喜びであると同時に、

静かな影も連れてくる。



私は最近まで、

その影の意味がよくわからなかった。



せっかく愛に気づいたのに、なぜ苦しいのか。
心が通うような感覚があるのに、
なぜまっすぐには進まないのか。
愛があるなら、

なぜそれだけで幸福にはならないのか。


そのことがずっと不思議で、

納得がいかなかった。




でも今は少しだけ、

別の見え方がしている。



愛があるからこそ哀しみが生まれるのではない。
愛が深いからこそ、現実の複雑さに触れたとき、

そのぶん静かな哀しみが生まれる。



ケンシロウとユリアの物語も、
ただ結ばれるかどうかの話ではなく、
壊れた世界の中で、それでも愛を失わないことの

物語に見える。


そして「愛をとりもどせ」という叫びも、
今の私には、相手を自分のもとへ

連れ戻すこと以上に、


失われかけた人間らしさ、ぬくもり、笑顔、希望、
その根にある愛そのものを取り戻す祈りに

聴こえる🕊️





もしかしたら、
ほんとうに愛を貫くというのは、

願いを叶えることだけではないのかもしれない。


その愛を曇らせず、

相手への灯を消さず、自分も見失わず


たとえ距離や沈黙や叶わなさが混じっても、
それでも心のいちばん深いところで

「大切なもの」を大切なまま持ち続けること。


そういう壊さない愛を
守り抜こうとすることが、

愛を貫くということなのかもしれない。



「俺との愛を守る為 お前は旅立ち」
を聴いて、

胸のいちばん痛いところを触られた気がした。



愛がなかったから去るのではなく、
愛があったからこそ、

簡単には一緒にいられないのだと。



愛があるからこそ、
簡単には言葉にできないことがある。
愛があるからこそ、
ただ願うだけでは進めないこともある。
そして、
それぞれが背負うもののあいだで

揺れることもある。



それでもなお、
愛を壊さずにいたいと願うこと。
その静かな強さが、

この歌の奥に流れているのだと思う✨