最近、音楽の世界を見ていて、
boundary permeability――境界の透過性
という言葉がふと浮かびました。

境界を無理に壊そうとしなくても、
いつの間にか「こちら」と「あちら」を分けていた線が、
少しずつ意味を失っていくことがある。


ただ、それぞれの場所にいる人が、
境界を越えて自然に出会い、
同じ音を聴き、同じ場に立ち、
「いいものは、いい」と素直に感じる。

言葉にしなくても、

その人の存在や表現を通して、

「今の空気」が静かに伝わることもある。



そうした往来が重なるうちに、
以前は遠く隔たって見えた世界が、
気づけば、静かに重なり始めていることがあります。



誰とつながっているかではなく、
目の前のその人、その音、その表現を、
素直に「いいな」と感じられる世界。

そんな空気が、静かに広がっていったら素敵だなと思います。

今夜のとしさんのブログ、
胸の奥に残る言葉でした。

『北陸から、世界へ』

その言葉には、
ただ“地元から発信する”という以上の、
とても大きな広がりを感じました。

「受け継ぐこと」と「生み出すこと」
その両方に、いま向き合っている

という言葉も、とても印象に残ります。

受け継ぐことは尊いけれど、
守るだけでは次へは届かない。

作品や文化への敬意を失わずに、
新しい場をつくっていくこと。

そこには、
そのあわいに立つ
静かな覚悟のようなものを感じました。


わたし自身、長く
受け手であると同時に、
支えること、つなぐこと、
そして何かが生まれる瞬間に立ち会う
喜びと責任を、少しずつ知ってきたように思います。

だから今回の言葉は、
「素敵だな」という気持ちを超えて、
どこか仕事の感覚や、
自分が大切にしてきたものにも
そっと触れるように響きました。


受け継がれてきた熱を
『大切に抱えながら、
それをさらに増幅させて、
明るく、楽しく、強く、
晴れやかに外へ放っていくこと』

金沢の地から生まれる
愛と祝福の音が、
人の心に希望の光を灯して、
この先さらに大きく広がっていきますように。

どんな新しい景色に出会えるのか、
7月を心から楽しみにしています✨

昨夜の余韻が、

まだ静かに胸に残っています。

としさんのセレモニアルピッチでは、
練習動画で拝見した
あの美しいフォームがまず胸に浮かびました。

本番のマウンドに立つお姿には、
野球少年だった頃の夢が
そのまま重なって見えて、

こちらまで自然と
息をのんでしまいました。

すっと伸びる綺麗なフォーム。

その一方で、
指先からほんの少し早く離れたように見えたボールには、
たくさんの野球ファンが見つめる中で
夢の瞬間を生きていた、

少年のとしくんの緊張まで
宿っているように感じました。


それでも、
ホームベースに届いたその一球を見たとき、
ああ、ちゃんと想いが届いた、と思って、
私はとても嬉しくなりました。

うまく言えないけれど、
夢の舞台に立つ姿そのものが
もうまぶしくて、

忘れられない場面になりました。 


そして、そのあとに響いた国歌独唱は、
まるで別の次元の扉が
ひらくようでした。

澄みきっていて、
一点の曇りもない。

けれど、ただ透明なのではなく、
どこまでもやさしく、
包まれるようにやわらかい。

高く、遠くまで抜けていくのに、
決して鋭くはならず、
まっすぐ天へ開いていくような響き。

私は聴きながら、
これは“闘う声”ではなく、
“天にひらく声”だと思いました。

ロックの刃のような強さではなく、
透明度と包容と、
空へ通っていく祈りのような力……。

きっちりと定まった音というより、
その少し向こうを、
光のように浮かびながら
進んでいくような音。



理論ではたどれるのに、
現実には触れられないような、
そんな不思議な美しさがありました。

私の耳には、
最初はG#を中心にしたような、
少し高いところで光がひらく響きに聴こえ、
《八千代に》の永遠を歌うその音のなかで、
重心がやわらかく移っていくように……。

ただ高く遠くへ抜けていくのではなく、
ひらいた光がやさしく地上へ降りてきて、
胸の奥に静かに留まっていくような感じ。


あの不思議な美しさは、
そんなふうにして
生まれていたのかもしれません。



少年の夢にふれた一球と、
天へひらくような国歌独唱。

地上と天上のあいだを
行き来するような一日。

試合の大逆転も含めて、
昨日の横浜スタジアムには、
何か祝福のような流れが
通っていた気がします。

今もまだ、
あの澄んだ響きの余韻の中で、
ゆっくり呼吸しています。