続きです。





私が今、思うこと。。。




失敗の経験、

挫折の経験は、


してもいいんだと思います。




大事なことは、

その失敗から何を学ぶか。。。


間違ったことをしてしまったら、

家族でどう乗り越え、


これから先の人生の生かすか、、、、



大切なことなのではないかな、と。。。。



そして、

本人が何を幸せだと思うか、


感じるか、

なんだと思います。



私は、

今まで、

たくさんの失敗を重ねてきました。


親にこうしなさい、

と言われたのにもかかわらず、


反抗をして違った道を選び、

それで失敗したこともありました。




それでも、

失敗から学び、

感じたことはたくさんありました。



人の温かみも大切さ。。。


いろんなことを感じました。




経験しない方がいいこともあったと思います。


それでも、

もう過去はかえられません。




だったら、

未来の自分にいかしていきたい。。。





いろんな自分とうまく付き合い、


これから

今までの経験を何か生かせたら、、


私の経験も無駄ではなかったんだと、


意味のあったことなんだ、

と思えるでしょう。

今回、


母との会話で、

初めて乗り越えられた壁があります。





それは、


母に、

性被害にあったことを話せたこと。。。。




性被害にあった10年前、、、


家族には、絶対に一生言わない。。。

と、決めました。





心配をかけたくない、

という思いがあったのだと思います。





今回、

今まで我慢したり飲み込んできたことを


母親にぶつけました。





私は、

こんなことを言われて悲しかった。



こんな風に言われるのが傷ついた。



こんな態度に、ショックをうけていた。。。



と。





お互い頑固な上に、

よくしゃべる性格なので、


話しをしているうちにヒートアップしましたが、


冷静な部分をのこしたまま、

最後までいられました。


そこで、


私が心を病んだのは、


すべて自分のせいだ、とか、


育てかたが悪かった。

という母に、




私は社会に出て、

いろんなことがあったのだと。


育った環境や親子関係が、

何も影響していないとは言わないけれど、


それだけが原因だったのではない、

と伝えるため、


性被害のことを初めて、話したのです。





母はびっくりしていました。


なんで言わなかったの。


普通は言うはず。と。





初めこそ、こんな風にいっていましたが、


最後は


「私も自分の立場だったら言わなかった」

と言っていました。


なんでも言えて、相談できる親子関係も存在するでしょう。


我が家は違っただけのこと、、、


お互いを思いやったり、

遠慮することで話せなくなることもあるのです。



愛情の量が多い、少ない、、、

ではないんだと思います。





大事だからこそ、心配をかけたくない、


大切だからこそ、

手を出しすぎてしまう、、、


それがお互いの重圧のなることもわからないままに、、、








今回のことで、

何か母と私の関係が変わるとは思えませんが、


私自身、

性被害のことを話せたことと、


今まで内に秘めて、

真正面からぶつかれなかった想いをぶつけられたことは、

とても大きなことでした。



初めて、母に自分の


本音の気持ちを吐き出せたような気がします。



何がよくて、

何がいいのかわからない、、、、


それでも、いろんな経験が

私を成長させてくれています。





今の私にとって、

過去の経験のすべてが財産です。

お久しぶりです。


近況ですが、


最近はいろいろと忙しい日々を送っていました。




体調を崩したり、


家のことでいろんなことがあったり、、、



悪いことばかりではなく、

いろんな、いい出会いもありました。





今日は、


最近した自身のお話をしたいと思います。






私は、

自分の母親とうまくいっていません。



固定概念が強く、

決め付けてしまう母親の性格や、


すぐ、がーーーっと言った物言いに、

私は母親と話すたび

疲れてしまうことも多いです。



もともと、

母親の愛情はあったのですが、


両親の夫婦仲が悪く、


母親は子供への過干渉、

過保護になっていきました。


私自身、

体が弱かったのも、

過干渉になった原因の一つかもしれません。





そして、


共依存していた時期もあります。





現在は、


実家の近くに住んでいることや、

子供を預けたりしていることもあり、


まだ、精神的切り離しができるいるわけではありませんが、


精神的に乱されない、

いい距離を保つようにしています。





最近、

久しぶりに、


母と2人で話す時間がありました。






母親の口癖があります。


「私は子育に、失敗した」と。。。






この言葉を聞くたび、

自分は失敗作だったのか、、、


と、悲しい気持ちになったものです。




そんな母が、


何かメディアのきっかけからか、


子供がうつになったのは、

育て方に原因があったのではないか。


と、興味をもちはじめ、

私にも伝えてきました。









私は母に伝えました。


「育て方や母との関係、

家庭環境は関係あると思うけど、

それだけではない」と。




母は、

私が心の病気になったのは自分のせいで、


そのせいで

私が母を恨んでると、

勘違いしているようで、



「私のせいではない。

どんな環境でも、

ちゃんと育つことはあるのだから運なんだ。


人様に迷惑をかけない、

普通の子でいてくれればいいのだ」と。






私は、


ちゃんと育つ。とか


普通の子ってなに?


と思いました。





人様に迷惑をかけない、とか、

犯罪を犯さないでいてほしい、、、


と思う気持ちは、



私も母親なのでわかります。





しかし、


私にはずっと感じてきたことがあります。






病気であることは悪い。


仕事をすぐにやめてしまったり、

続けられないことが悪い。



社会に適応できないのが悪い。





ずっと、

母に

そういわれているように感じてきました。



実際、

私が心の病気になったこともそうです。


これまで、

病気の自分は悪いんだ、、、

と、自分をたくさん責めてきました。






しかし、


健康で、仕事をして、

家庭生活を円滑に築き、

周りにいい人と思われていたら、、、、



それで母は、満足だったのでしょうか?







普通に。。。


普通に、

生活していてくれたらいい。。。






そう言われても、


私と母の思う普通は違うし、


人それぞれ価値観や

考え方は違うと思います。




私は病気になって、


いろんなことに気づき、

当たり前の生活のありがたさ、


また、

それを続けることの大変さを経験しました。






周りの眼から普通に過ごしているように見えても、


私自身、

幸せだとも思わず、


影でひっそりと、

苦しんでいたことも多々、ありました。




何が幸せか、なんて、

本人にしかわからないものだと


私は思います。








私も、母親として、


自分の子が、こうなったらいいな、

とか、

こんな子になったら、、、


と思うことはあります。





ただ、

何が正解で、何が間違っているか、

なんてないと思うからこそ、


日々考え、

その時、その時、

子供と共に成長していきたいと思っています。


相手が人間。

人と人。

だからこそ、

思い通りにいかないのだと思います。




どんな子育てをしたとしても、

後悔は生まれると思うし、


うまくいかないこともあるでしょう。





子供が病気になったり、


ぐれてしまったり、

犯罪を犯してしまったり、、、


いじめられたり、

またはいじめる側になってしまったり、、、


人を傷つけたり、

傷つけられたり、


騙したり、

騙されたり、、、、





続く。

私は、現在4才の子供の母親です。



自分のことを、いい母親。


だなんて一度も思ったことはありません。






精神不安定な私は、


子供が物心つくころには

ぐちゃぐちゃな生活をしていて、

精神的にも、とてもひどいものでした。





感情で子供を叱り、接する。


子供からしてみれば、


お母さんが急に優しくなったり、

急に怒りだしたり。。。





すごく構うこともあれば、


ほったらかしにされることもある。






規則正しい生活もできない毎日。。。






しつけの域なのか、


虐待の域なのか、ネグレクト、、、、



いろんなことが頭をよぎりました。







そして、


自分で自分を殺したいほどの


憎しみと後悔。


恐怖。






自傷やODをしていた頃と重なった時期です。


こんな私が母親でいいのか。


こんな母親ならいなくなった方がいい。


そんなふうに思っていました。








子供が幼稚園に入ってからは、


生活リズムは最低限できました。





私の精神状態も少しずつ落ち着き、


子供との関係も、


少しだけ、変わりました。






それでも、

子供は日々成長するもの。


びっくりするほど、いろんなことを吸収し、


周りのことをよく見ています。






家の息子は、


私の精神不安定なのを側でみてきたせいか、


人の顔色をよく見る子になりました。






実は、

私自信も、


親の顔色を見る子供でした。





人の顔色を伺ったり、

些細なことに敏感なのは、

今でもあるかもしれません。






大人になって、

いろんなことを経験し、


乗り越え、


少しずつ


そんな自分との切り離しをしました。







人に合わせるだけの私。


いいたいことも言えない私。





いろんな人と出会い、


改めて自分の過去と向き合ってきたことで、


少しだけ


変われたような気がします。







自分の子供には

私のようになってほしくない。



私の母親のような

子育ては絶対しない。






そう思っていた私も、


気づけば母親のようになっていました。







自分の母親の子育てしか知らないのだから、

似るのは当たり前。


それでも、心底、自分を責めました。





母親を憎んだこともありました。


でも今は、

母は母で、一生懸命だったのだと、

思えるようになりました。



母とは今でもうまくいかない時もありますが、

いい、距離を保つようにしています。


自分の心のバランスが崩れないように、、、、











今思うこと。。。。





そもそも、


いい母親なんてわからないし、


理想の母親像なんて、


現実に実現できるものでもありません。







私も、もともと子供だった。。。


もともと一人の子供が、

一つの命を授かったことで、


母親になったのです。






いきなり子供と言われても、


子育ては初めてだし、私も母親0才からのスタート。


一緒に育っていくものだと思います。






みんなそれぞれ今に一生懸命で、

それぞれ頑張っている。



だめな母親だっていい。


完璧じゃなくてもいい。





イライラしながら

ずっと一緒にすごすことがいいわけじゃない。



少ない時間でも、


一緒に笑える時間。


触れ合える時間。


ぎゅっ、っと抱きしめる時間。


あなたが大好きで、大切なんだと伝える時間。。。





そんなちょっとの時間があれば、


もしかしたら

何かが変わっていくのかもしれません。





今でも、イライラはしてしまうし、


しょっちゅう子供を怒ってしまうけれど、


そんな時間を意識してもつようにしています。







子供の純粋な瞳に

私はどんなママとして

写っているのかわからないけれど、


今できる精一杯で。。。。




この世にたった一人しかいないママなのだから、、、

やっぱり

生きていたい。。。








未熟な私自身が


子育てで感じてきたこと。





母親の自身の

息抜きやゆとりの心。


一番大切なのは、

そこなのでは、、、、と思います。





母親が孤立しないように、、、


一人ですべてを抱え込まないように。。




相談できる相手。


ちょっと息を抜ける相手がいること。








大切なことなんだと思います。