そろそろ、幸せか不幸か、という段階を抜け出そうと思ったのです。それを考えているうちは、「暇」してるのだと、思いました。
数年前、ある大きなもの(テナントと家賃。笑)を手放して自由になった時
ものすごく幸せを感じました。
でも、それと同時に寂しくなった。なぜなら
暇!!!
と思ったの。
困ったことがあるとか、手に入らないものがあるとか、抜け出したい状況があるとか
そういうのは
なんだかんだ言って楽しいんだな
と、それらが全部なくなった時に思ったのです。
以前、似たような経験があります。
高3のおわり
推薦試験で、皆よりいち早く、大学入試をパスした時です。11月の終わりでした。(たしか)
受験勉強は辛く重く苦しく、プレッシャーは半端じゃなく、無事に終わったらあれをしようこれをしよう……どれだけ多くのことを夢見たでしょう。
果たしてそれを叶えた自分。そして大学が始まるまでの3〜4ヶ月間、授業も終わっていたので、学校に通わなくてもよく、ブラブラする日々が待っていました。
ついに思い描いた薔薇色の瞬間が訪れたかのように思えたのですが……しかし。
これは、2〜3月に普通に入試をした人や、浪人した人からすると、かなり恵まれた状況だと思うのですが
私は、生まれて初めて
暇すぎて泣く
という経験をしました。(笑)
何やっても楽しくないんですよ。ゲームとか漫画とかなんでもやりたい放題のはずなのに、どこに行っても自由なのに、何も、やる気が起きない。これはすごく辛かった。祖母に、おばあちゃ〜ん 暇だよお〜〜
と言ってめそめそ泣きました(笑)

あんなに追い詰められ、憎いと思っていた、受験勉強……私には、良い暇つぶしに、なっていたのでした。
与えられたものをこなす事は上手かった
人から評価されるのは上手かった
でも
自分で自分のことをいざやれるとなると
私は、その方法がわからなかった。
そのため、暇になってしまったのです。
高校時代に楽しかった、ゲーム、漫画、小説、部活(演劇・軽音楽)その他、勉強を追いやるようにハマっていたサブカル三昧は
与えられた人生の中での、ひそかな反抗で
それが私のアイデンティティだと、叫びたかったのです。与えられた人生、守られた人生にいる自分を、認めたくなかったのです。
でも所詮
人の手のひらの上だった。
自由になったら、それが言い訳にできなくなってしまい、反抗であった趣味も、意味をなくしたのでした。



ここ3年くらい、とても幸せだなあと思っていたの。
実際、テナントなくなって金銭的にかなり楽になったし、移動カフェ業は、これまで苦労して積み上げたノウハウのおかげで結構安定してるし、子供も増え、2人ともめちゃくちゃ可愛いし、特に子育ても悩むことなく毎日おおむね楽しいしさー。
このままでも生きていける。
でも
私の中がどこか違うと言っている。
まだ統合されてない私がいる。
まだやっていないこと、もっとやりたいことが沢山あります。それをやることが、先日書いた『命を燃やすこと』
それをやってないから暇になってしまって、幸せだとか言い出すのですwww
不幸感で命を削っていた頃も
(マックス不幸期は学生時代後半。詳細は割愛)
あんなに必死だったけれど、結局あれも受験勉強と同じ。大変だったけど、暇をつぶしていただけだ、と振り返ります。
暇/暇つぶしでいるうちは、私は私の人生をまだ、完全には歩んでいない。だから「暇」なのです。
もちろん 今までの人生がダメなのではなくて
やっと暇人をやめられるところまで、自分を癒せたのでしょう。長い長い道のりでした。精いっぱい「命を削ってきた」ことは、一定の評価をしたいと思います。
でもここからは
頭ではやり方はわからないけど、「命を燃やす」
自分自身の人生を、生きたいです。
自営業になってもまだまだ道半ばです。
(そういうのは、関係ないですね。会社勤めでも主婦でも、自分の人生を生きている人は沢山います)



幸せ感の段階を過ぎるというのは、占星術でいえば、月と金星がある程度満たされたということなのかもしれません。ここがしっかりしていれば、エゴと承認欲求を保持しながらも、うまく乗りこなすことができるはず。
なかなか強烈ですが、自らの「欲望」の行使によって、他人軸で生きてきた時代を終わらせる、という意味合いが強いカードです。(トートタロットの思想性が特に強く出ているカードの一つ)
ここでいう「欲望」とは、低次の意識をも含む、いのちの欲求。
私はこれをするために生まれた!
といういのちの叫び。
幸せかどうかなんて考えている暇もないくらい、エネルギッシュに生きたい。全うしたい。
そんなことを、思う日曜の夜でした。