ひとりで追い詰まって、誰も助けてくれない、ウワーン



ってなる人には、特徴があります。

助けてくれない、のではなくて、実は助けてと言っていない。だから、周りの人からすると、そんなに追い詰まってるとは知らなかった…という感じです。
場合によっては、言ってますよ!と反論されたりするのですが、伝え方が、たとえば家事育児だったりすると、
「もっと◯◯やってよね! なんでやってくれないの」
「あなたはもっと父親として◯◯するべきだ!」
みたいな、怒りや、べき論を含んだ言い方で言葉を投げつけてたりして、本当のところの
「私は困ってる」
「私は心細いの」
だから助けてほしいの、と、ほんとの気持ちと自分の弱さをパートナーに見せてない、っていうケースがかなり多いです。
怒りをぶつけられると、人間って、その言ってることがどんなに正しくても、ムッとして心を閉じてしまうものなんですね。それは、こちらが心を開けていないからです。
心をひらくというのは、相手を信頼することです。信頼して、ありのままの弱い自分をさらけ出すことです。
それをしないで、なんでわかってくれないの、察してよ、ひどいわひどいわ、私、被害者だわ!
というモードに入ってスネていると、相手も、話すたびに攻撃されてる感じになるので、それに防御反応を示すようになり、関係は悪化します。
なんで自分が心を開けないのか、弱さが見せられないのかというと、
自分の在り方として、
「強くなければいけない」
という思い込みがある。それは、家事育児を完璧にこなす人なのかもしれないし、いつもニコニコ笑っている完璧な優しいお母さんなのかもしれない。
強くないと、正しくないと、いつもニコニコしてないと、、、そういう理想像を演じていないと、みんなに嫌われてしまう。
弱さを見せてしまったら、本当の私を見せてしまったら、みんなに嫌われてしまう。
だから旦那には弱さは見せられない! 私は強い人でなければいけないのに、それを手伝ってくれないなんて、ひどいひどい、ひどすぎる。
→で、怒りをぶつけて不毛な喧嘩になる
→もしくはコミュニケーションを初めから切って、仮面夫婦状態になる
っていう具合に、最初の目的(人に嫌われない)のために暴走してなんだかわけわかんない状態になるわけです

ほんとは旦那さんのこと、大好きなのにね。
大好きだったら、勇気を出して、心を開けよう。信頼して、話をしよう。
心を開けると、傷つくかもしれないリスクがついてくる。実際たまに傷もつく。
でもそれは、心を開けないで抱える傷よりは、よほど健全なのです。
自分を孤独にしているのは、ひどい配偶者や、社会の無理解ではないのです。
自分は強くなければならない、
常にデキル
常にニコニコ
常にポジティブ
そういう能面を被ってないとみんなに嫌われるからと、
本来の素の自分を抑圧している自分が
自分を孤独の淵に追いやります。