劇場にて鑑賞
評論家の間で絶賛されるも公開館が少なかった。
キャスト
監督 ジュリアン・シュナーベル(ニューヨークで活躍する画家兼監督)
ジャン=ドミニク・ボビー(マチュー・アマルリック)
言語療法士アンリエット(マリ=ジョゼ・クローズ)
編集者クロード(アンヌ・コンシニ)
理学療法士マリー(オラツ・ロペス・ヘルメンディア)など
解説
ファッション誌「エル」の編集長として活躍する人生から一転、脳梗塞(こうそく)で左目
のまぶた以外の自由が効かなくなってしまった男の実話を映画化。
原作は主人公のジャン=ドミニック・ボビー自身が20万回のまばたきでつづった自伝小説。
『夜になるまえに』のジュリアン・シュナーベルが監督を務めている。
主人公を演じるのは『ミュンヘン』のマチュー・アマルリック。
シリアスな展開の中に温かいユーモアが味わえる一方、独特の映像美も堪能できる感動
の実話だ。
あらすじ
雑誌ELLEの名編集長として人生を謳歌していたジャン=ドミニク・ボビーは、42歳の時、
ドライブ中に突然脳梗塞で倒れてしまう。
その後、病室で目覚めた彼は、身体全体の自由を奪われた“ロックト・イン・シンドローム
(閉じ込め症候群)”となっていた。
それはまるで重い潜水服を着せられたような状態だった。
意識は鮮明なのにそのことを伝える術がなかった。
絶望にうちひしがれるジャン=ドミニクだったが、やがて言語療法士アンリエットや
理学療法士マリーらの協力で、左目の瞬きでコミュニケーションをとる方法を会得する。
また一方で、今まで仕事にかこつけて顧みなかった家族の大切さを改めて思い知るのだった。
そしてある日、彼は自伝を書こうと決意、編集者クロードの代筆でこれまでの帰らぬ日々や
思い出をしたためていく。
ジュリアン・シュナーベルの映画を観るのはこれが初めてだったが、さすがは画家兼映画監督
だけあって、映像はイマジネーション豊かなものだった。
カメラも不自由な体になったボビーの目線で撮っているので、観客がボビーの目線で
ものを見るといった工夫も見られた。
また、コミュニケーションの手段がまばたきの回数だけというボビーに献身的にリハビリを
行った言語療法士、理学療法士の彼女たちの努力には頭がさがる。
仕事に没頭し、家庭を顧みなかったボビーが不自由な体になって、家庭あっての仕事に
気づいたというのが皮肉だ。
しかし映画自体には悲壮感がない。
後半の蝶のように自由に空を飛んでいるかのような映像が映画自体の重さを打ち消してくれる
からだ。
評論家の間で絶賛されるも公開館が少なかった。
キャスト
監督 ジュリアン・シュナーベル(ニューヨークで活躍する画家兼監督)
ジャン=ドミニク・ボビー(マチュー・アマルリック)
言語療法士アンリエット(マリ=ジョゼ・クローズ)
編集者クロード(アンヌ・コンシニ)
理学療法士マリー(オラツ・ロペス・ヘルメンディア)など
解説
ファッション誌「エル」の編集長として活躍する人生から一転、脳梗塞(こうそく)で左目
のまぶた以外の自由が効かなくなってしまった男の実話を映画化。
原作は主人公のジャン=ドミニック・ボビー自身が20万回のまばたきでつづった自伝小説。
『夜になるまえに』のジュリアン・シュナーベルが監督を務めている。
主人公を演じるのは『ミュンヘン』のマチュー・アマルリック。
シリアスな展開の中に温かいユーモアが味わえる一方、独特の映像美も堪能できる感動
の実話だ。
あらすじ
雑誌ELLEの名編集長として人生を謳歌していたジャン=ドミニク・ボビーは、42歳の時、
ドライブ中に突然脳梗塞で倒れてしまう。
その後、病室で目覚めた彼は、身体全体の自由を奪われた“ロックト・イン・シンドローム
(閉じ込め症候群)”となっていた。
それはまるで重い潜水服を着せられたような状態だった。
意識は鮮明なのにそのことを伝える術がなかった。
絶望にうちひしがれるジャン=ドミニクだったが、やがて言語療法士アンリエットや
理学療法士マリーらの協力で、左目の瞬きでコミュニケーションをとる方法を会得する。
また一方で、今まで仕事にかこつけて顧みなかった家族の大切さを改めて思い知るのだった。
そしてある日、彼は自伝を書こうと決意、編集者クロードの代筆でこれまでの帰らぬ日々や
思い出をしたためていく。
ジュリアン・シュナーベルの映画を観るのはこれが初めてだったが、さすがは画家兼映画監督
だけあって、映像はイマジネーション豊かなものだった。
カメラも不自由な体になったボビーの目線で撮っているので、観客がボビーの目線で
ものを見るといった工夫も見られた。
また、コミュニケーションの手段がまばたきの回数だけというボビーに献身的にリハビリを
行った言語療法士、理学療法士の彼女たちの努力には頭がさがる。
仕事に没頭し、家庭を顧みなかったボビーが不自由な体になって、家庭あっての仕事に
気づいたというのが皮肉だ。
しかし映画自体には悲壮感がない。
後半の蝶のように自由に空を飛んでいるかのような映像が映画自体の重さを打ち消してくれる
からだ。


