こちらは、死産流産後に生まれたレインボーベビーの娘についての記事です。次の妊活に繋がる内容です。
プニプニの我が家のアイドル、天使の妹ちゃん。
もし次の子を産むとしたら自分の年齢リスクを考え2学年差を目指すかなぁとぼんやり考えていました。
でも気づいたらあっという間に1歳を過ぎ、母乳離れの気配なし。
1歳半ころになっても飲み続けていたら、母乳外来の助産院へ行って相談しようと思いつつ、母乳とミルクの混合で育ててきました。
ただでさえ流産死産の確率が高い私は、妊活する前に断乳を完了する必要がありました。
しかしいざその時期がきてみると、第2の出産と言われているとは知らなかった「断乳卒乳」、私にとっては一大イベントでした。
娘は、保育園から帰った後や眠る時など、精神の安定のために母乳を飲んでいる感じだったので、
続けられるなら続けたいけど、身体も辛いし事情もあるし...と少し悩みつつ。
身体が辛いというのは、保育園を休んだ日や忙しい時は子どもが寝てからパソコンに向かっているのですが、夜泣き時に授乳がマストだったため、深夜の仕事中に寝室に呼ばれる→寝落ちできない→仕事に戻るもまたいつ呼ばれるかわからない緊張感の毎日が地味に辛かったです。
それから、1歳半を過ぎて自我が強くなってきて、もしやむを得ない事情で突然断乳することになったら娘の精神にダメージを与えるのではないかという心配が出てきました。
そんなことになるのだったら、前もって説明して、段取りを踏んで終わりにしたいと思いました。
母乳外来の助産院で
「お母さんの母乳を続けたい気持ちより、もういいかなって気持ちが大きくなってたら、やめていいんじゃない」
というアドバイスを頂き、断乳の日付を設定しました。
「もうあなたが大きくなったから、パイパイ出なくなるって」
「飲みたいよねー、でももう出ないのよ。お母さん、痛い痛いのよ。」
「赤ちゃんはおっぱいごくごく。お姉ちゃんは、ご飯もぐもぐ。あなたはもうお姉ちゃん。」
と若干事実ではないけれども分かりやすく伝えました。
手書きのカレンダーも壁につけて、シールを貼ってカウントダウン。
娘は断乳までラスト3日くらい情緒不安定になり、最終日は3時間ほどぐずったものの、諦めてねんね。
翌日は本当にないのか確認してくる感じもありましたが、私が授乳できる服ではなく、Tシャツを着ていて、物理的にも飲めないことで徐々にあきらめがついたよう。
「おねえちゃんになったねー」と言うと嬉しそうです。
「おっぱい、のんでた!」
とニコニコ言ってみたり、
「なくなって、かなしい。
なくなって、かなしい」
と笑顔でリピートしています。
「おねえちゃん、なっちゃった!」
片言で話せるようになったおかげで、娘の気持ちの葛藤が分かる。
1歳8ヶ月まで飲んでくれてありがとう!
そして、精神的に甘えて授乳を求めていた時間は、一緒におままごとや電車で遊ぶ時間になりました