今までの妊娠歴
1人目 妊娠後期での誕生死
2人目 不育症の治療をしたけど初期流産
3人目 不育症の治療をして無事に生誕し2歳
4人目 現在も治療しながら妊娠12週
この4人目の子の母子手帳を受け取ってきました!
今回の自治体での妊婦面談と、誕生死した長男のおかげで変化した旦那の話になります。
- -
母子手帳を受け取った時に
「ウェルカムベビー!」という気持ちよりも
「今回は、記入が埋まるといいなあ」
と何も書き込まれていないページを見て不安に。
第1子の、妊娠30週以降は一生埋まることのない余白の悲しみが、心に染み付いているのでした。
妊娠届に過去の出産回数2回と記入。
母子手帳を受け取った流れで妊婦健診を受けられたので
妊婦面談ではベテラン母と思われ
「あ、出産もう3回目なんですね!」
とニッコリされるも上のお子さんは...との確認に
「あ、1人目は緊急帝王切開後すぐ亡くなってしまって、上の子は1人です」
と説明。あれから4年くらい経って、こういった場所で淡々と伝えるのにも慣れてきました。
自治体の面談は、産前産後にサポートしてくれる家族がいるかというのを心配しているようで、
夫の協力具合とか、親戚の居住地などを聞かれました。
「夫は、コロナが流行ってからテレワークがメインで、出産関連では有給をとれそうです。私が入院しても、上の子の保育園の送迎や食事作りはやってくれます」
というようなことを伝えると、
「頼れる旦那さんですね〜!」
と保健師さんが褒めてくれました。
そこでふと思い出したのは、誕生死した長男の妊娠中は、夫はブラックな職場で、毎日終電かタクシー帰宅で、海外出張も長めで、妊婦健診は誕生死の30週が2度目の同行だったことでした。
夫は子どもが生まれるのを楽しみにしていましたが、仕事量が多く平日はほとんど家に居ませんでした。
健康で順調と思っていた私が突然にお腹の子を亡くし、夫婦でかつてないほど心身のダメージを受けたあと、
夫が自ら転職活動をし始めて、
レインボーベビーの生まれる頃に別の会社から内定をもらい転職したのです。
その後は出張は国内のみ、勤務時間も以前より短くなり、テレワーク可能な仕事内容になったので、コロナ禍では娘と過ごせる時間も増えました。
通勤の時間がなくなったぶん、現在も保育園の送迎をしてくれたり、食材の買い出しや、体調が悪いときは調理もお願いできるようになりました。
私が寝るときまだ仕事で居なくて、朝起きても居ない(職場に泊まり込みか、深夜ちょっと寝てまた出勤)なんてこともあった第一子のときとは、別人。
夫の健康のためにも良かったし、どういうわけか収入も減りませんでした。
あのままの働き方だったら、子育てや夫の健康はどうなっていたんだろうと恐ろしくなりました。
夫の働き方が変わったのきっかけは、誕生死で亡くなった第一子だったんだなぁ、
その恩恵をお父さんもお母さんも妹もその下の子も、家族全員で受けてるよ、
と、改めて長男の偉大さを想いながら、妊婦面談の帰路につきました。
面談の締めでは私が
「妊娠中はだいたい何か問題が起きますが
ハイリスクと分かっているからこそ
医療機関でしっかり対応してもらえるので
その点は逆に安心です」
と語り、4度目の妊娠にしてついに肝っ玉母ちゃん感が出てきたかもしれないなと
少しだけ自分の成長を感じました
