我が家に、2人目の天使がやってきました。
でも、去年に見送った身長40センチの長男とは大きさが随分ちがって
その子の爪くらいの小さな小さな天使です。
稽留流産でした。
以前、大きな赤ちゃんを死産した天使ママが、その後に流産されているのをブログで読んだことがありました。
そのため妊娠確定後も、「1度赤ちゃんを天国に返したからって運命は容赦ない!」と知っていたので、精神的ダメージが少なかった気がします。
そういうわけで、8週の小さな命でしたが
天使ママの誰かにいつか役立つこともあるかもしれないので
記録を残したいと思います。
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近所のクリニックの先生に排卵のタイミングを見てもらったのち、5週に再訪し妊娠を確認してもらいました。
そのときの超音波では、血腫と赤ちゃんの袋らしきものが同じように見えていました。
大学病院の不育症の主治医の先生には、「妊娠反応が出たら(※)アスピリン飲んで」と言われていたので、前に処方していただいていた低用量アスピリンを毎日1粒のみはじめました。
※ 横浜のクリニックでは高温期からという指示でしたが、大学病院の方針に従いました。
不育症の有名な先生がいる大学病院では「妊娠したら受診して、妊娠しなかったら電話で予約の日時を変更して下さい」と1回分の仮予約を入れてもらっていたので、6週で受診しました。
大学病院にて、血栓の出来やすい体質への治療としてヘパリン自己注射の方法を習いました。
入院して指導がある病院もあるそうでしたが、私の通った大学病院では看護師さんに一通り教えてもらって、その場で実践して完了でした。
あとは注射のやり方の書いてあるリーフレットを見ながら、12時間おきに自己注射あるのみです。
注射自体はたまにチクっとする程度で、慣れれば準備も含め5分くらいで出来ます。
私は自宅で仕事をしているので、携帯に「ヘパリンの時間」というアラームを入れて、楽しげな音楽が鳴るように設定しました。
電車に乗って出かけるときは、途中で地震があって帰宅困難になったら困るので、廃棄箱以外の注射セットを数組、ポーチに入れて持ち歩くようにしていました。
注射は太ももやお腹にするので、だんだん青あざが増えて行くのが最初は怖かったですが、1週間くらいで順次消えていくのが分かり、また前に帝王切開したときに、傷痕のまわり〜太ももまでがほぼ真紫だった衝撃と比べるとだいぶ面積が狭いということで、あまり気になりませんでした。
注射を始めて約2週間。
7週の検診のときに女性の先生が申し訳なさそうに
「心拍は、見えます。
でも、胎芽の大きさが小さめで、心拍が遅いので、どっちに転ぶかわかりません...」
とおっしゃいました。
それまでは、初期流産率15%の数字は頭に入っていても
そっち側を引かない可能性のほうをなるべく信じていたので、
順調じゃないんだ!と知ったその時が一番つらかったです。
エコーの画面で、大人と同じような速度で動いている小さな心臓を見せてもらいました。
まだ動いているけど、この速度じゃ、だめかもしれない...
という悲しみと、
排卵日が5日くらい遅れているから、心臓ができたばっかりで遅いだけなのかもしれない!
という希望。
不安な気持ちは赤ちゃんに伝わってしまうかもしれないから、
ただ成長が遅い子なだけだとしても、
もし今週に心臓が止まってしまうとしても、
お腹のなかで幸せだったと思えるように、なるべく楽しいことを考えていよう!
と思って、それまでのように、なるべく明るい気持ちでいるように心がけました。
そして、長く感じた1週間を経て8週の検診。
出血も腹痛もありませんでした。
ただ、つわりが重くなりませんでした。
旦那さんは、安定期までは毎週行くと言って、会社を時間休とって同行してくれていました。
「前回は、心臓が動いていたのでこれが赤ちゃんですと言えたのですが...
今回は、心拍が見えないですね...
残念ながら流産という診断になります」
30代くらいの女性の先生は、不育症外来を受け持っていて悲しい気持ちに寄り添うのが慣れているのか、とても親切で、そのあとも稽留流産の手術について書類をすごく丁寧に説明してくれました。
こうなることが先生は分かっていたのか、外来の最後の時間帯で、朝には不妊不育治療の人でいっぱいの待合室には、ほとんど人がいませんでした。
7週の受診時は泣きそうでしたが、1週間で覚悟ができていたのか、天使ママとして精神が柔軟になったのか、
「この子は少しの時間だけでも我が家に来たかったから、身体が弱いけど来てくれたんだな。
お母さんの身体に負担をかけないように、すごい早さで帰ることにしたのかな。
でも年末年始でお父さんの声がたくさん聴けて、一番いい時期に来てくれたね。きっと楽しかったよね。」
と納得するようにして、手術のための身体検査をサクサクと回れました。
その後、精神的にガクっと来るのかなぁと思っていたのですが、結局、旦那さんとちょっときれいなレストランで夕飯を食べ、家に帰っても
「もういないけど、まだお腹にいるんだね、不思議だね〜。
でも、もっくんは、もういないけど、いるよね〜」
というようなフワッとした話をする程度で、感情的にはなりませんでした。
旦那さんは、私がショックを受けるのを心配していたようですが、あまりに普通なので、逆に無理をしているんじゃないかという方向に心配してくれていました。
ちなみに、30週までスクスクと育った第1子のときのエコーと比べると
最初から、赤ちゃんの袋の像が薄くて、
妊娠中は、通っている病院が違ってエコーが違うからかなぁと前向きに考えていましたが
あとで主治医の先生も「最初からちょっと弱かったように見えるね」と仰っていました。
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ヘパリンの効果が消えて手術ができるようになるまで待つことになったので、家で数日のあいだ安静にしていました。
そして、生理のような出血とともにお風呂でシャワーをあびているときに自然に出てきてくれました。
エコーで見た比率通りの、ゼリー状の透明なまるいもののなかに、小さくてきれいなクリオネのような子。
あまりにきれいで、見入ってしまいました。
幸い痛みも出血もひどくなく、病院に電話して検査用に保管し、後日検査してもらいましたが、細かいことはわかりませんでした。
夫にしか報告していなかった小さな命には、小さなクッションを縫いました。そこをお布団にして、第一子のお骨のとなりに居ると思います。