出産から3ヶ月。あの時の細かなことを忘れつつあって、時の経過に焦りながら、メモをもとに書き進めています。

 

悲しい話です。

心配事を増やしてしまいそうな妊婦さんはスルーしてください。

 

 

* * * * * * * 

 

- 健診から3時間50分 - 

大学病院への緊急搬送は取りやめとなり、総合病院で手術が始まりました。

 

先生から頂いた記録によると手術室に入って開始まで20分、手術開始の1分後に出生だったそうです。 

 

母体は全身麻酔のなか、我が息子、出生。

赤ちゃんは...

 

仮死状態。

 

新生児の元気具合を評価するアプガースコア0点。

0点の特徴は、心拍なし、反応なし、呼吸していない状況です。

 

すぐに小児科の2人の先生によってチューブでの人工呼吸と心臓マッサージ開始。

 

母体は産後の子宮の収縮が悪く、手術中に出血が1500mlを超えたので輸血開始。子宮用のバルーンで止血して下さったそうです。

 

 

 

- 健診から5時間5分 (手術開始から1時間15分)- 

苗字を呼ばれ、目を覚ましたとき、まだ手術室のなかでした。どのくらいの時間が経ったのが全然わかりませんでしたが、赤ちゃんを助けるためにお腹切ってもらったんだ、ということはすぐに分かりました。

 

手術用のマスクと帽子をつけた4、5人の方に囲まれていました。目を覚ましたばかりで、あまり細かい部分は見えなくて、先生方の表情は見えませんでした。

 

「お母さんも

みんなも

赤ちゃんも頑張ったんですが...、

残念ながら...」

 

と聞いたと思います。

 

「はい」と答えたか答えていないか、すぐに左肩の上で、まんまるなお顔で目と口をキュッと結んだ可愛い男の子を見せてもらいました。

 

君がお腹に入っていた、いい子だったんだね、こんな可愛く育っていたんだね、と思いました。

 

突然の、我が子との初対面は、こんなお顔だったんだ!という驚きもあって、悲しいだけではありませんでした。でも、クタっとして泣かない赤ちゃんに何の装置も付いていなかったので、

(あぁ、もう、全部終わっちゃったんだ...)

と思いました。

 

「かわいそうに...

かわいそうに...。」

 

としか言えませんでした。

 

 

誰かが涙を拭いてくれたような気がしましたが、そこで私は薬の作用でまた眠ってしまったので、次に覚えているのは、廊下を運ばれているときに「どこの部屋?個室だよね?」等の会話が聞こえたこと、連絡を受けて到着した実母が執刀医の先生と話しているのを見たことです。

 

旦那さんは手術室に入って赤ちゃんの蘇生を終えるところに立ち合ってくれたそうです。30週の突然の事態だったけれど、海外出張に行っていなくて良かったし、普段であればまだ会社で働いている時間だったので、この日は付き添ってくれていて本当に良かったです。

 

手術室の中で私が「お腹が痛い、痛い...」と呻いているのを見て、どんな地獄絵図だと思ったそうです。

 

意識が戻ったときは、起きてます!というのをアピールするために何か言わなきゃと思って、とにかく

「おなかが...痛いです...」

をリピートしていた記憶があります。

 

 

病棟でズーンとしたお腹全体の痛みと、全身を様々な器具に繋がれていて身動きがとれないなかで、

(こうしている今もNICUで赤ちゃんが頑張ってくれているなら、どんなに回復の励みになるだろう...)

とぼんやり思いました。