出産までの出来事についての続きです。
30週の妊婦健診で突然、胎児機能不全と言われ入院、それから数時間後に手術室に運ばれるまでの記録です。
* * * * * * * * *
- 健診から2時間40分 -
4人部屋から、処置をする部屋にベッドごと運ばれ、酸素マスクで深呼吸を続けているあいだに導尿の管がつきました。
騒然とした雰囲気のなか、最後に食事をした時間、トイレに行った時間などを聞かれました。明らかに手術の準備が進んでいました。
NICUのある病院に搬送することになり、産科部長の先生が搬送先を電話で探しはじめ、当直の産科の先生が部屋に飛び込んできました。看護師さんがお腹を押すと赤ちゃんが動いて、心拍も戻ったりしました。
「ベビちゃん動いてる!」
って看護師さんがおっしゃったとき、私はまだ事態が受け止めれていなくて
(そりゃそうです!)
って思ってました。
ずっとタイミングの良い子で、前から、この子は生まれつき運が良い人だよね、と旦那と言っていました。
だから今回も全てナイスタイミングで切り抜けてくれるはずと信じていました。
このバタバタのなかで、私の同意がなくて帝王切開できなかったら大変と思って、旦那に「切ってもいいから」とだけ、酸素マスクの下から伝えておきました。結局その後、私が手術の説明を聞いたりサインする余裕はありませんでした。
- 健診から3時間 -
搬送先の大学病院が決まりました。
「そこなら、小さい赤ちゃんしっかり見てくれるから安心だよ!」
と看護師さんが言ってくださって、
予定より2ヶ月も早いけど、今日生まれるんだ、30週だからNICUで生き延びれる可能性は高いから、生まれて良いけど...でもその病院までどうやって行くの?それより心拍大丈夫なの?という心配が浮かんできました。
- 健診から3時間15分 -
「救急車、いま向かってます」
と聞こえました。救急車を待ちながら、当直医の先生が体位をかえたりして、赤ちゃんの心拍の回復見られるものの、救急隊がまだ来ないならここで帝王切開に、という話に進んでいて、麻酔科や小児科への連絡など看護師さんたちが奔走してくれていました。「30週はウチでは...」「小児科の先生に何々の薬の比率を聞かないと...」「いま小児科の部長先生、呼んでます!」「え、オンコール?」「いえ院内にいます!!」等、まるでコウノトリのドラマかのような単語が聞こえました。
結局、搬送が決まってから救急車が来るまで45分くらい掛かりました。帰宅ラッシュも終わった時間、東京23区内です。(遅かったと思いますが、結果として私の場合はこれで良かったと思っていて、そのことはまた今度書きます)
- 健診から3時間30分 -
もう一人、常勤の産科の先生が呼び出しで来てくださったころ、心音が拾えなくなってエコーに切り替えとなりました。そこに救急隊が到着。私をタンカーに乗せながら、搬送するか、ここで帝王切開か、という瀬戸際で、搬送先の病院の先生が電話で状況を聞いて、もう移動せずにここで帝王切開することが決まりました。
エコーを見ながら先生が旦那に
「いまから手術室に行きますが...赤ちゃん厳しいかもしれません」。
タンカーに乗る直前にポコっと小さな胎動があって、今までずっと幸運の持ち主だった赤ちゃん、きっと大丈夫、がんばれー!と思いながら深呼吸を続けました。
- 健診から3時間35分 -
エレベーターですぐの手術室にタンカーで移動。あっという間に手術台の上に乗っていました。手術室が思ったより近くてホッとしました。麻酔科らしき先生に
「何も食べてない!?」
と聞かれて、
「お昼から食べてません!」
と答え、
「小児科の先生まだ?!誰々さんは!?早く!!」
など聞こえ、バタバタしたなかで
「大丈夫だからね」
と三角のマスクをあてられ、酸素マスクかな?と思った瞬間、真っ暗になりました。
次に目を開けたとき、赤ちゃんが生きているといい、と思いました。
外来のとっくに終わった時間に、いろいろな科の先生とスタッフの方が揃って、緊急帝王切開を始めてくださったこと、感謝しています。