今回淡路島に帰省してもうひとつ

伊弉諾神宮
伊弉諾神宮は、古事記・日本書紀の冒頭にその創祀を記し、
神代の昔に伊弉諾が、御子神の天照皇大御神に統合の権限を委ね、淡路の多賀(淡路市一宮多賀)に「幽宮(こくりのみや)」を構えて余生を過ごした神宅の旧跡と伝えられています。
ここで終焉を迎えた伊弉諾大神は、その宮居の敷地に神陵を築いてまつられたそうです。

淡路島では一番古く大きい神社と言われています。
一の鳥居(大鳥居)は、約8メートルある石の大鳥居です。花崗岩製の神明型鳥居として日本で最大規模です。一の鳥居からは、両サイドに石灯篭、二の鳥居、神橋、表神門(正門)、拝殿と一直線に美しく並びます。

一の鳥居をくぐった右には「君が代」にも出てくる「さざれ石」もあります。
「陽の道のしるべ」モニュメント

ここ伊弉諾神宮を中心として、他の地の神話の舞台となっている大社の位置関を見てみると

同緯度の東には、飛鳥藤原京・伊勢神宮内宮が位置します。
西には海神神社(わたつみ)!南には諭鶴羽神社、北には出石神社が位置します。
春分秋分の日の頃には伊勢から昇った陽が海神神社沈み
夏至の頃には、信濃の諏訪大社から昇った陽が出雲大社に沈み
冬至の頃には熊野那智大社から昇った陽が高千穂神社に沈む
というような位置にあるのです。


伊弉諾神宮を中心に由緒正しい場所が、正確にこんなに配置されているのを知ってしまうと、もう偶然とは言えない、何か神秘的なものを感じてしまいますね。

表神門(正門)の手前には、放生の神池があります。伊弉諾神宮の神前にある御池は「放生の神池」と呼ばれています。伊弉諾大神の幽宮の跡地に造営された御神陵にあった掘の遺構とされています。

神橋を渡って左手に大きな石で彫られた手水舎があります。豊臣秀吉が大阪城の築城のために全国より集めた巨石が、誤って郡家浦の沖合いに沈んでしまいました。江戸時代の末期に、氏子が引き上げて手水鉢として奉納したそうです。

ちょうど、神楽を舞われていました。



夫婦の大楠(めおとのおおくす)
兵庫県指定天然記念物になっているもので
樹齢九百年を数える古木。
元は二株のものが、結合して一株に成長したという珍樹で、伊弉諾大神・伊弉冉大神の神霊の宿る御神木として信仰されています。
ということで
現在でも安産や子宝授けや夫婦円満の祈願成就の信仰がされています。

そしていただいた御朱印がこちらです。