ここまでで、

大学院に進学し(『なぜ基礎・基本が大切か?〜人生最大の挫折』

2回目の国家試験受験で薬剤師になることができた(『国家試験合格に向けて〜成功に向けての軌道修正』)までのお話をしました。

 

 

幼い頃からの夢であった《薬剤師になる》《研究する》の2つが叶いました。

 

そして、国家試験を受ける前にさらに大きなチャンスが舞い込んでいました

 

 

それは、提携するカナダの大学への研究留学の提案でした。

 

もともと、夢を口に出して周知していたと言っていますが、海外に出て研究をしたいことも、もちろん指導教授にもこの旨はしっかり(ちゃっかり?)と伝えてありました。

 

 

そして、数年ぶりに提携先の大学の薬学部長さんと留学生を多く受け入れている学部の部長さんが大学に来ると言うのです。

 

そこで具体的な話を聞いてきました。

とんとん拍子に話が進み、指導教授が先方の薬学部で似たようなテーマで研究をしている研究者(教授)を探してくれて、その教授の教室に留学をすることになりました。

 

 

当初は6月に渡加予定だったので、国家試験の勉強をしつつもその準備を進めていきました。

 

 

ただし、指導教授に手伝ってもらえたのは留学先を決めるところまで。

あとは、自分の力でなんとかしなければなりませんでした。出身大学は当時、そこまでグローバルに活動を進めていない大学だったので、大学院生で提携大学に留学する学生も、薬学部では私が初めて、もしくは久しぶりだったのではと思います。

 

 

なので、窓口になるような部署がなく、留学先の事務手続き担当者の方とのメールのやり取り、VISA申請方法、カナダでの滞在先etc... すべてを自分一人でこなさなければなりませんでした。

 

でも、自分がずっと夢に描いていた《研究して,留学する》という夢が叶うのですから、大変よりもワクワクの気持ちが強かったです。

 

そして、今考えると、当たり前ではありますが、カナダに行ってからはすべてを自分でやらなければならなかったので、初めから全部自分でやったことが自信にも繋がりました。

 

 

1.留学後〜悪戦苦闘の日々

 

私は当時、もともとこの様な夢を持っていたこともあり、準備してきました。

日常会話程度は問題なく英語が話せたので、留学に際して英会話学校などには行きませんでした。その大学に入学し、卒業する大学院生(正規大学院生)とういうくくりではないので、課せられた英語試験(TOEICやIELTsなど)もありませんでした。

 

私が当初考えていたように、博士号を取得して研究者として留学する方が圧倒的に多いです。学生のうちに数週間〜数ヶ月の短期間で留学したり、語学留学する話はよく聞きます。しかし、長期的な留学は特に、薬学部ではあまり聞きません。少なくとも、私が情報収集していたことは同じ様なケースが見つけられませんでした。

 

私が留学先の大学で出会った日本人も、全員がすでに研究者として実績を持っている人ばかりでした。でも、肩身の狭い思いをすることなく皆さんとても良くしてくれました。

 

ただし、一つだけとても大変だったのは、専門用語の英語でした。

 

研究者の方々は、すでに多くの論文を読み、投稿し、自分の専門範囲の英単語は熟知されていました。私はそのような経験が浅かったので、専門用語に慣れるのがとても大変でした。カタカナ用語は発音が違い、書いてもらわなければ何をいっているのか分からない状態でした。

 

1日のうち朝・昼・晩のそれぞれが1日に感じるくらい毎日いろんなことがあり、

1週間は2-3週間分くらい学んだ気がしました。

 

日本では当たり前にできていたプロトコールも、使い勝手が違って教えてもらわなければできなかったり、従わなければいけないルールが分からなかったりと苦労しました。

 

そんな研究生活に慣れるには3ヶ月はかかりました。

 

日常生活は、憧れていた生活そのものでした。

 

もちろん苦労も沢山しましたが、それは別の機会にお話します。

 

とにかく、研究生活にも慣れてきてからは夢だった生活が楽しくて、本当に幸せでした。

 

幼い頃からの夢であった《薬剤師になる》《研究する》《外国で暮らす》の3つがついに叶いました