ご無沙汰しておりました
写真例会合宿の場所が決まりません。
某大学の合宿所を借りようと奮闘してます。
というのも、使える状態であるのに受理されません。
学校側からの理由は「学外者が多すぎる。授業料で運営しているため、当大学の学生が少ないから許可できない」だそうです。
もっともです。
しかし、私たちがやろうとしている活動は笑われるような事なのか。
必死で説明して、なんとか貸してもらおう、志を持ち活動をしている人が訴える事は失笑一つで終らせてよいのか?
これから社会を形成する「大人」になる素材を仕上げていく大学だからこそ、今大学がやるべき事は運営管理ではなく理解提供なのではないか。
勿論、世間や社会の仕組み、大人の事情を知らないから青臭いと思われる事は重々承知である。
しかし、赤く熟すには青い時に養分を吸収し蓄える事が必須ではないのだろうか。
それが自然の摂理であるはずだ。
その場を奪って何が、自立だ!
何が成長だ!
それが「大人」のやり方ならば、大人とはそれ程度の人間か。
私はそんなものになりたくない。
某大学の合宿所を借りようと奮闘してます。
というのも、使える状態であるのに受理されません。
学校側からの理由は「学外者が多すぎる。授業料で運営しているため、当大学の学生が少ないから許可できない」だそうです。
もっともです。
しかし、私たちがやろうとしている活動は笑われるような事なのか。
必死で説明して、なんとか貸してもらおう、志を持ち活動をしている人が訴える事は失笑一つで終らせてよいのか?
これから社会を形成する「大人」になる素材を仕上げていく大学だからこそ、今大学がやるべき事は運営管理ではなく理解提供なのではないか。
勿論、世間や社会の仕組み、大人の事情を知らないから青臭いと思われる事は重々承知である。
しかし、赤く熟すには青い時に養分を吸収し蓄える事が必須ではないのだろうか。
それが自然の摂理であるはずだ。
その場を奪って何が、自立だ!
何が成長だ!
それが「大人」のやり方ならば、大人とはそれ程度の人間か。
私はそんなものになりたくない。
さて、どうするか。
微力ながら、サークルを活性化させる活動をしています。
写真部であるはずなのに、写真で繋がる部活でない現状に嘆いています。
さあ、私は何をするのか。
部内で写真の繋がりをより密に持つことはできるのか?
例えば他者に写真をみせ批評されることに意義を感じない人がいる。
当たり前である。
写真に対する考えなど十人十色で、自分の写真をどうしていくか、などは自由だから。
その人にとって批評会を強要することはできない。
しかし他者に批評を求める人にはその場を与えたい。
『その場』は正に写真サークルがぴったりでは無いのだろうか。
暗室はある。
同世代があつまる。
人がいる。写真がある。
共通の興味をもつ。
ここまでお膳が揃うならば、あとはやるしかないだろう。
写真は可能性を秘めた若い芸術であり、これから開拓されるものである。
カメラの持つ写実性と、人間の持つ想像力を兼ね備えた写真。
その面白さに気づき悩める生まれたばかりの写真家たちを、資本主義に埋もれさせるのは余りにも惜しいと思う。
のちに重大なあやまちとなるだろう。
何よりも今、やりたい意思をもちつつもやれない現状を変えたい。
写真の世界は広くおおらかで可能性を秘めている事を教えてあげたい。
写真部であるはずなのに、写真で繋がる部活でない現状に嘆いています。
さあ、私は何をするのか。
部内で写真の繋がりをより密に持つことはできるのか?
例えば他者に写真をみせ批評されることに意義を感じない人がいる。
当たり前である。
写真に対する考えなど十人十色で、自分の写真をどうしていくか、などは自由だから。
その人にとって批評会を強要することはできない。
しかし他者に批評を求める人にはその場を与えたい。
『その場』は正に写真サークルがぴったりでは無いのだろうか。
暗室はある。
同世代があつまる。
人がいる。写真がある。
共通の興味をもつ。
ここまでお膳が揃うならば、あとはやるしかないだろう。
写真は可能性を秘めた若い芸術であり、これから開拓されるものである。
カメラの持つ写実性と、人間の持つ想像力を兼ね備えた写真。
その面白さに気づき悩める生まれたばかりの写真家たちを、資本主義に埋もれさせるのは余りにも惜しいと思う。
のちに重大なあやまちとなるだろう。
何よりも今、やりたい意思をもちつつもやれない現状を変えたい。
写真の世界は広くおおらかで可能性を秘めている事を教えてあげたい。

