名演! カーチュンの「悲愴」 | 木琴歩徒氏のブログ

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木琴歩徒氏の独り言ブログと、出かけたクラシック音楽のコンサートのレポートです。

○2023.11.26(日)14:00~ 東京芸術劇場 1階M-○
 カーチュン・ウォン:日本フィル(#248芸劇シリーズ)
  小山 清茂:管弦楽のための木挽歌
  プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番ハ長調op26、Pf)福間 洸太朗
  (アンコール)坂本 龍一:aqua
  チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調op74「悲愴」
(会場入口のポスター)
 プーチンによるウクライナ軍事侵攻の影響で、桂冠指揮者ラザレフの
来日が4回連続で見送りの止むなしに。あのパワフルな名演は、残念な
がらもう聴けないようだ。今回の代役はこの9月に、首席指揮者となっ
たばかりのカーチュン。予定されていたメインの「悲愴」はそのままで、
前半を小山清茂とプロコフィエフに変更した。そのため名曲中心のシリ
ーズとしては、少々マニアックな選曲になっている。ベルリンフィルの
来日公演と重なったようだが、1・2階の入りはほぼ満員と盛況。コン
マスは扇谷泰朋で、オケは弦フル編成である。
 最初は1957年に作曲され、渡邉暁雄と日フィルで初演された木挽歌。
小山清茂の代表作とされるが、聴くのは初めてである。ゆったりとした
独奏チェロで始まる木挽歌が、村の盆踊りや都会の朝の歌に変化して、
パワフルなクライマックスを迎える。最後は静寂の中を冒頭の木挽歌が、
バスクラリネットで奏され、消え入るように終息するという展開。日本
的と言うと月並みだが、日本人の心に刺さる曲である。和太鼓の生々し
い響きが印象的。カーチュンが紡ぎ出す日本の民謡の調べは、外国人が
演奏していることを意識させない。まるで母国語のように、違和感なく
扱うのには驚かされる。
(カーテンコール)
 プロコのPf協3番はモダンで洗練された、私が好きな曲。しかし演奏
機会は少なく、何と10年振りに聴く。ソリストは1982年生れのスラリと
大柄の好男子。若手というイメージが強いが、そろそろ円熟期だろうか。
昨年秋の日フィル定期では、ブラームスの第1協奏曲の好演を聴かせて
くれた。この曲のみオケは弦14型+Cb1に縮小する。
 優しく懐かしい感じの序奏に続く1楽章は速めのテンポ。表情を変え
ず淡々と弾くソリストだが、超絶技巧が連続するので力が入るようだ。
2楽章はやわらかな音色と激しい打鍵が交錯。中間部の夢見るような曲
想が、透明な音色で奏される。ピアノが打楽器的に演奏される3楽章は、
オケとの壮絶なぶつかり合い。スリリングな展開となる。フィナーレは
両者がドンピシャと合って壮麗な音の渦に。何度かのコールの後アンコ
ールは、予想外の坂本龍一。クラシックの曲とは言えないが、何故かホ
ッとしたのは事実である。
(仙台・定禅寺通り)
 15分の休憩後はコバケン以外では余り聴かない「悲愴」。初めて聴く
カーチュンのチャイコである。1楽章はダイナミックに緩急をつけた演
奏で、マエストロは独特の大きな動きでの棒捌き。メリハリをつけたキ
ビキビとした演奏は予想した通り。ワルツもどき5拍子の2楽章は優雅
で柔らかな響き。中間部ではテンポを落として、優雅さを一層際立たせ
ていた。3楽章も快適なテンポで、進行とともに白熱し物凄い大音量に。
炸裂する大太鼓とシンバルは、分かってはいるのだが非常に強烈。マエ
ストロは仁王立ちでオケを鳴らし切った。間の抜けた拍手が出るが追随
者はなし。せめてもの救いであった。一呼吸置いて入った4楽章は一転
して遅めのテンポ。1楽章と同様緩急を際立たせた劇的な展開である。
マエストロは珍しくオケを煽り、楽員もそれに応えて一糸乱れぬ力演。
フィナーレは残響が消え入った後、マエストロがタクトを下すまで10数
秒の静寂。楽員の心をしっかりと掴んだ、予想した通りの名演だった。
コールでは満足そうに、木管のトップを次々に立たせていた。