ミイ子「マリカ、昨日の横浜さんの送別会参加しなかったんだね。」
マリカ「もちろん断ったわ。秒速で。なぜ、私が、ほとんど話したこともない人のために、貴重な夜を捧げねばならないの。」
ミイ子「私も、横浜さんと話したこともないし、行きたくなかったのに、一応同じ部署だから、なんか断れなかったんだよね。」
マリカ「ふーん。始まったね、ミイ子 vs ミイ子の気持ちの試合。」
ミイ子「いや、それ大げさ過ぎ。なんかね、誘われた時に、一瞬『え、帰ってNetflix見たい』って心の声を聞いたんだけどさ、口が勝手に『あ、行きます!』って言っちゃったの。」
マリカ「なるほど。身体は『帰宅』を叫んでいたのに、社会性がマイクを奪ったわけだ。」
ミイ子「うん。しかもそのあと、自分の中で変な言い訳大会が始まるのよ。『こういう場で顔を出しておいたほうがいいかも』とか『断ったら嫌なやつって思われるかも』とか。」
マリカ「すばらしい。自分の中の外交官がフル稼働ね。でもその間、本音担当は地下に閉じ込められてる。」
ミイ子「うわ、図星。で、行ったんだけど、案の定すっごい気を使って、変なテンションで笑って、帰り道で『なんで行ったんだろう…』って自問しちゃった。」
マリカ「自分の気持ちを無視すると、だいたい帰り道で一人反省会が始まるのよ。」
ミイ子「そうなの!なんか、自分の気持ちを踏み倒して、周りの都合に乗っかると、すごい消耗するの。しかも、誰も私に『そこまでして参加しろ』なんて言ってないのに。」
マリカ「クラシックな自己無視案件ね。“自分の心は取るに足らない”っていう古いスローガンを掲げて突進した結果よ。」
ミイ子「でもさ、断るのって難しくない?嫌な奴とか冷たい奴って思われたくないじゃん。」
マリカ「思われる気がするだけだよ。実際、送別される本人はミイ子が来ようが来まいが、プレゼントの包み紙のほうが印象に残ってる可能性高い。」
ミイ子「ああ、そうかもね。特に、私のように凡庸なルックスの人間は印象には残らないか。急に気が楽になってきた。」
マリカ「人って、自分の『NO』を出すとき、すごく世界が揺れる気がするけど、実際は他人の世界はまったく揺れてないのよ。揺れてるのは自分の内側だけ。」
ミイ子「それって、自分の感覚を信じられてないってこと?」
マリカ「そう。自分の内なるサイレンを停電中にする癖。自分の“イヤ”をなかったことにするのは、自分をじわじわと削る恐ろしい作業なのよ。」
ミイ子「確かに、昨日の夜、家帰ったとき、なんか自分が一回り小さくなった気がした。」
マリカ「それが“価値と安心感の浸食”というやつ。自分を無視するたびに、ちょっとずつ自己信頼が溶けていく。」
ミイ子「いや~怖い、それ。どうすれば自分の味方になれるんだろう。」
マリカ「まずは、自分の身体と心の声を聞くこと。『行きたくない』って心が言ったら、それは意見じゃなくて速報なの。ニュース速報をスルーしてはいけない。」
ミイ子「でも、断るの、やっぱ怖い。」
マリカ「怖くていいのよ。大事なのは、怖いけど自分の味方になること。外の世界より、自分の中に味方を配置すること。」
ミイ子「味方を配置…なんかRPGみたいでいいね。私、これからはミイ子王国を守ることにする!」
マリカ「いいじゃない。まずは『次の、親しくない人の送別会には参加しません』というセルフコンパッション宣言から。」
ミイ子「それ、めっちゃ小さな革命じゃん!」
マリカ「革命はいつも、静かで地味な『NO』から始まるものなのよ。」
私たちは、自分の「イヤ」という感覚を見なかったことにしてしまうことがあります。なぜなら、そうすることで人間関係を保てるような気がしたり、自分の立ち位置を崩さずにいられると思ってしまうからです。けれど、自分の本音を置き去りにするたびに、少しずつ自己信頼や安心感が削られていきます。
本当の意味で自分の味方になるとは、自分の内側に起こる感覚やサインを尊重し、小さな「NO」を許すことです。怖くても、自分の感情を信じ、自分を守る選択を重ねることで、安心感と自分への信頼が育ちます。
自分を大切にすることは、他人を遠ざけることではなく、自分の中にしっかりとした信念を築くこと。小さな「NO」から始まるその一歩が、やがて大きな「安心して生きる力」につながっていきます。
