真顔ミイ子「朝からずーっとスマホ見てたら、脳みそがコンソメスープになりそうなんだけど…。ニュース、ポスト、炎上、陰謀、気候変動、スーパームーン、そしてまた炎上…。もはや情報ビュッフェでお腹こわしてる。」

 

真顔マリカ「コンソメスープは塩分にご注意よ。特に現代のは、過剰摂取によって精神が乾く。」

 

あんぐりミイ子「え、ポエム?それとも警告?てか乾くって何!? 私の脳、すでにウェットティッシュぐらい水分ないよ!」

 

真顔マリカ「つまり、情報を摂りすぎて、思考がパリパリの干からびた煎餅になってるってこと。」

 

不安ミイ子「干からびた私…あぁ、また炎上スレを開いてしまった…ていうか、なんでこんなに四六時中情報を追ってしまうのかね?一日SNS断つのって断食よりキツい気がする。」

 

真顔マリカ「それはね、知らないことに耐えられないからよ。現代人は“情報断ち”が怖い。キングコングが上陸したら気づけないんじゃないかって、本気で思ってるの。」

 

真顔ミイ子「いや、キングコング来たらさすがに誰か叫ぶでしょ。てか日本には上陸せんでしょ。」

 

真顔マリカ「それでも不安なのよ。知らない私=無力な私という錯覚がある。だから皆、スマホで世界を監視することで、何かに備えてる。けれど皮肉にも、その監視が精神を削るのよ。」

 

真顔ミイ子「まじか。もはや安心材料じゃなくて、ストレス製造機ってこと?」

 

真顔マリカ「そう。まるで、安心のために買った空気清浄機が、夜中に爆音で眠りを妨げてるようなもの。」

 

真顔ミイ子「例えが斬新すぎる。でも…わかる。で、どうすればいいのよ、出家でもする?」

 

真顔マリカ「出家まではしなくとも、哲学者のように構えるのよ。ソローは言ったわ。『ニュースなんて、所詮おばあちゃんたちのティータイムの噂話』と。」

 

真顔ミイ子「ソローが誰か知らないけど、おばあちゃんたちの噂話か…。なんか平和な絵面だね。それくらいの距離感でニュースを見た方がいいってこと?」

 

真顔マリカ「そう。どんな情報も、一歩引いて眺めてみるの。事実と解釈を区別して、白か黒かじゃなく、グレーの広がりを受け入れる。」

 

知らんぷりミイ子「でもさー、今のSNSって『これが真実!』『それは間違い!』『こっちが正義!』ってハッキリさせたがるじゃん。逆にグレーな態度って、“逃げ”とか“無責任”って叩かれがちじゃない?」

 

真顔マリカ「そうね。でも、『わからない』と堂々と口にする勇気ほど、強いものはないわよ。現代において最大のアナーキー、それは“すべてを知ろうとしない”という選択。」

 

ひらめきミイ子「おお…なんかかっこいい…!じゃあ、私は今日、“知らないことを楽しむミイ子”として生きるよ。」

 

ニヤニヤマリカ「それが一番。知ることよりも、問うこと。答えるよりも、驚くこと。そして時には、スマホを置いて風を感じるの。」

 

ニコニコミイ子「風より通知が気になる自分が恥ずかしいけど、頑張る。てか、マリカ、ポエム集でも出せば?」

 

ニヒヒマリカ「タイトルは決まってる。『バッテリー5%の哲学』よ。」

 

ひらめきミイ子「その5%で照らす真理!…みたいな?」

 

ニヤニヤマリカ「まさにそれ。」

 

 

私たちは膨大な情報の渦の中で生きています。ニュースは恐怖を煽り、SNSは即座の反応と過激な意見を求めてくる。そんな時代において、私たちは「知ること」や「意見を持つこと」を義務のように感じがちです。しかし、哲学者のように情報と距離をとり、問い直す姿勢こそ、今こそ必要とされているのかもしれません。

19世紀の哲学者ソローは、「ニュースは噂話にすぎない」と言いました。それは真実を否定するのではなく、世界はもっと複雑で、多層的で、美しいという現実を見失うなというメッセージです。

すべてを知ろうとせず、すべてに答えを出そうとしない。その代わりに、立ち止まり、考え、感じる。それは、現代における最もラディカルな行為なのです。

情報に押し流されるのではなく、それにどう向き合うかを選ぶ。哲学者の視点は、そんな「選択の自由」を私たちに思い出させてくれます。