安産祈願の日を迎えるにあたって、特に前日夜。
色んなことを思っていました。
お母さん。を振り返ってみる。
私が2度目の流産時、一緒にいてくれたんですけど、
私は母の前では泣いたことがなかった(泣けやん)から、
ずっと気丈にふるまって明るく過ごしていました。
でも、実家に泊まった夜、我慢の限界で
布団に潜って泣いていたら不意に入ってきた母にめくって見られ、
母もいつも通りふるまって部屋から出て行ったものの、
その後一枚戸の向こうで母も泣いているのがわかりました。
3回流産し、不育症検査を受けた後、私から母に不育症であることを話し、
それから母自身も不育症について勉強したり、
すがるようにどうすればいいのかをお寺に相談に行き、
聞いた内容を私に教えてくれたり、
月に2回、決まった日に地元の氏神様へ私の為に欠かさず
今もずっとお参りをしてくれています。
その話を聞いて、その思いを受け継いで私達夫婦も6月から
同じように月2回、近所の氏神様へお参りに行くようにしました。
そんな母と迎えた帯祈願。
まだこの先にどんな健康な人でも実際何があるか分からない。
慎重な母、私達。
このまま無事に迎えられるといいね。。。
そう呟いてくれました。
時々私がふざけるのに、母は終始真剣で、
神様の前でも、聞き取れないけど長いこと祈っていました。
もう一人の母親(義母)。
旦那さんから電話で報告をしてくれて、その時に不育症のことも話したそうです。
電話しながら帰ってきて、急に電話を代わることになってドキドキ。
「よかったねー!!!!!おめでとう!!!」
多くは語らなかったけど、
今までのことをなんとなく分かってくれているような気持ちがその一言から伝わってきて、
私も今まで話さず封印していた気持ちがが一気に溢れてきました。
遠くから、いつも思ってくれていたんやね。お義母さん。
今回思うこと。
今までの流産の時は、ずっと一人、もしくは旦那さんと二人で気を張って頑張っていたけど、
不育症理解とまではいかなくても、こんなに気持ちを理解し、応援してくれる人がおるんや。
応援してくれているのはずっと前から分かっていたけど、
前から二人で頑張っていた訳では決してないんやけど、
本当に、本当に嬉しいよね。
この周りの人の思いは私達を強くも温かくも包んでくれる。
どんなに嬉しいことか、幸せなことか。
これを実感なしでは出産までは無事に過ごせないと思いました。
自分だけが頑張っている。決してそうじゃない。
当たり前のことのようにも思うけど、
そのことを忘れずに、過ごしていきたいと思いました。